takato02643

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図書館をよく利用しています。


本が好きです

さんの書評2017/03/18

そもそも「お金」ってなんだろうか

『ビットコイン』ってなんだろう?  ときおり新聞や雑誌などで目にする単語であるが、その実態についてはよくわからないものがある。  本書は普段、何気なく使っている『お金』が、そもそもなにであるのかを追求し、そのルーツについて見直した一冊である。  貨幣のルーツをたどるため、著者はまず生存をかけた生物同士の共生関係に起源をみいだそうと試みる。食物の交換による進化的アルゴリズムまでさかのぼっての考察なのだ。  ずいぶんと根源的な部分から見つめ直すものだ。こういった海外の学術的ともいえるノンフィクション作品を読む醍醐味は、思いもよらない視点から物事を見て、新たな観点を与えてくれることにある。本書も例に漏れず枠に閉じこもりがちな発想を大きく転換させてくれることに役立った。  著者によると、貨幣の起源は前述した生物的要因のほかに、『債務』が発端ではないのかと疑義を唱える。硬貨が発明されたのは紀元前610年以降のリディア王国であるが、その何千年前の古代メソポタミアでは、すでに利付融資が存在しているとのことだ。  従来の定説では、貨幣の起源は『物々交換』が由来であるとするが、そんな常識に一石を投じるものである。  第1章では、貨幣について生物的な進化の面から考察を加え、生存にとって『交換』は欠かせない行為であることを検証する。人間についてもその例に漏れることはないが、脳の発達により『表象的思考能力』を獲得したことで、ツールとしての貨幣を想像し、価値の象徴としたことを脳神経科学の面からの解説へと続く。  生物学、脳科学、心理学、人類学、宗教、芸術など本書の守備範囲は多岐にわたる。その中でもとりわけ面白かったのは、やはり債務の面からみた貨幣論『第3章 借金にはまる理由?債務の人類学?』だ。  『お金』は必ずしも有形の商品である必要はなく、固有の価値を伴わなくても、象徴としての価値があれば取引することが可能であるとする。つまり貨幣は、どのように形を変えようとも一貫して価値の象徴であると結論づけている。  サブタイトルに惹かれて手に取った本書だけに、その絶妙な邦題には舌を巻く。翻訳家の小坂恵理氏のセンスによるものだろう。この人の翻訳ものは11冊刊行されているようなので、また目を通してみようと思う。  本書の内容については、雑学的な使い道しか思いつかないが、この章だけでも読んで見ることをおすすめする。新たなヒラメキをえることができるかもしれない。

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さんの書評2017/02/17

「知的」好奇心への昇華がガキ

 原書のタイトル"CURIOUS"(好奇心)の方がわかりやすかったのではないか。  副題は"The Desire to know and Why Your Future Depends on it."とあるので、意訳すると「将来の夢が叶うかどうかは、それ次第である」と言ったところか。  タイトルのとおり、好奇心全般について考察した一冊だ。  とくに第2部『好奇心格差の危険』は副題の趣旨に沿っているメインとなる部分で面白い。なかでも興味深かったのは、インターネットに関しては、個人的に思い当たる節が多々ある。 「インターネットは賢い人間をさらに賢くし、間抜けをさらに間抜けにする」  本書の中で、作家ケビン・ドラムの言葉として紹介されているものであるが、まさに、その通り、とうなずける言葉であった。  好奇心には大きく二つの概念が存在する。「拡散的好奇心」と「知的好奇心」との二つだ。 「拡散的好奇心」は、目新しいものすべてに惹きつけられ、飽くなき欲求として現れるとする。愛着の対象をめまぐるしく変え、その要求はきわめて強いがいとも簡単に満たされるものとする。  対して「知的好奇心」は意識的に訓練を施す必要があるが、魂の糧となる満足と喜びをもたらすものであり、知識を黄金に変えるものとしている。  通勤電車の中でスマホをポチポチとしているオジサンは珍しくなくなったが、このネットサーフィンといった行動そのものが拡散的好奇心の産物なのだと思う。かつてのスポーツ新聞がスマホに変わっただけで本質的には何ら変化がない。昔から普通にある減少だ。もっとも最近はゲームをしているオジサンもたくさんいるが……。  かく言う自分も暇つぶしにスマホをいじることはあるが、それにしてはかなり夢中になっていることに気がつくことがある。著者の指摘する「拡散敵好奇心」を自覚するときだ。あれこれと閲覧を繰り返したが、記憶には何一つ残っていない。時間と労力の浪費――確かにうなずける話だ。  問題は、興味を覚えた事柄をどの程度まで深く探求するかによる。  インターネットは、かつてないほど多くの学びの機会を与えてくれるし、面倒なことを省いてくれる。どんな地味な分野であっても関心を共有するコミュニティを容易に探し出すことができる。  ただ、ここに好奇心がともなっていなければ、どうでもいい与太話を楽しんだり、見知らぬ他人と言い争いをしたりするだけに道具にもなりかねない。この傾向はよく話題になるサイト炎上をみているとよく分かる。  結論として、インターネットの登場で顕著になったのは、認知能力の二極化であるとする。  好奇心を発揮する人と、そうでない人との格差が生まれ大きくなっている。意欲的に知的冒険に踏み出す人々は、過去に例を見ないほど多くの機会を得ることとなる。  まさに著者が指摘するように知識を黄金に変えるのは、物事への関心と知ろうという取り組み、そして意識的な訓練である。  暇つぶしのつもりでネットを見ていて、気がつくと恐ろしく時間が経っていたという経験をお持ちであれば、一読の価値がある。好奇心は麻薬にも似た常習性をもっている事がわかるであろう。

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