さんの書評2018/05/27

殺し合わないために近づく二人を見守るだけの狂おしさ

武士同士が愛し合うと殺し合ってしまう。なぜなら二人とも、刀を持っているからだ…とは誰の言葉だったのか。男と男と女の三角関係は全員死ぬが、男と女二人の三角関係は一人生き残る、ともどこかで読んだ覚えがある。
このシリーズは個人的に究極のJUNEというかBL(ボーイじゃないからMLか)だと思って読んでおります。この表現もちょっと違うな…だって彼等はLOVEではない。「愛」し「合う」ことにならないように、周到に、慎重に、そう「ならない」ようにしているように見える。見えるのだけれども、どうしようもなくお互いに引かれているのは間違いないので、それを「愛」にしないように、「恋」にしているようにも思えるのだ。
清之介の父と兄の話が終わったので次は信次郎の父の話来るぞ…という予感はあったので(前の話がそうだったし)いよいよ来たか、という感じでした。今回は結構意図的に「父と子」という隠しテーマがあった気がします。被害者加害者関係者、そして清之介と進次郎、それぞれの父と子。島帰りでありながら、息子と息子の嫁に心底大事にされ、いまわの際まで心を尽くされる姿が挿入されながら、実は伊佐治自身が自分は「そう」ならないのではないか、と思っている所もおそろしく美しい所だと思う次第です。毎回この話最高に萌えて悶絶する遠野屋の屋敷で行われる三人の会話はまるで息詰まる恋の駆け引きのよう。そこでは心の刃がいまにも、心の臓を切り裂こうと相手の手を読み隙を見つつ閃く殺戮の刹那。相手の心を知りたいと無意識に踏み込む呼吸を合わせる二人の会話は優雅にして冷酷な舞いのよう、伊佐治が町人であるからこそ、二人は殺し合わなくて済んでいる「だけ」なのだと実感するばかりのその場面を読むたびに、脳内の何かの扉が開くような心地が致します。
今回の白眉は進次郎の脇差を清之介が受け取り、それで刺客を刺したことなのかもしれないと思っています。刀は武士にとってただの武器ではありません。かつてそれと自分は同じだと称していた清之介にとっても同じ事。それは自分と等しいものでもあるのです。それを渡し、受け取り、人に手を下すこと。それが清之介の命を救うこと、その意味。「刃こぼれがすげぇな、駄目になったかもしれん」と言った進次郎は、おそらく人生最高に嬉しかったのではないのでしょうか?笑い出すのをこらえていたのかもしれません。
だからこそ彼にとってその後の『始末』は、もうただの出来事に過ぎなかったのでしょう。誰がどうなったのかなどどうでもよいこと。彼にとっての「最高の瞬間」はもう来てしまったのですからね…。
それにしてもこの話本当にエロい…いままで進清かと思ってたけど清進もありじゃね??と思ってしまったので沼は深い…

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