目次
密室・風景・権力 若松映画と性の「解放」――序に代えて
風景としての都市
ゲリラ空間とは何か
組織論をめぐって
子供についての一考察
転形期の構図
奈落への旅の途上で
わが列島、わが風景
映像 風景 言語
不可視のムラの入口で
ユートピアの反語
「風景」と「情況」
ふるさともなく、うたもなく
夜から夜への通底器
机の前の永久革命者
迷路の奥のコンミューン
誰から殺すべきか
野獣と革命
大義について
喪われた祭り
密室のテロル
なぜ風景戦争なのか
出会いと訣れ
天使の誘惑
風景の死滅のために
風景論の起点
風景1~6
解説 風景論の現在(平沢剛)
前書きなど
「《風景の死滅》のために」 五木寛之(抜粋)
この評論集におさめられた〈風景〉をめぐる松田政男の重層的な文章の眺めは、
私にはひとつの重く大きな、声にならぬ嘆声を呼びおこす。(…)
一見激越な文体の背後にどうしようもなく流れ続ける、或る人間としての呻き、
ほとんど心弱い少年の号泣のごとき何かの声を木魂のように聞くが故にである。(…)
論客はいくらでもいる。文章家はどこにでもいる。
しかし、アクチュアルであることによって、一層深く人間的であるような思想の表現者は少い。
松田政男の風景論の奥に私はたしかにかすかな〈哀号〉の響きを聞いたと思う。
それを聞いたことで、私は松田政男の存在にインパーソナルな心からなる共鳴を憶えずにはいられないのだ。