目次
第一章 死を間近にして
●ローマの骸骨寺とガンジス河の沐浴
●遠藤周作著『深い河』
●モンテーニュの『エセー』を読む
●大衆人(利己主義者で他人を支配したがる人たち)の登場
●少子高齢化
●反省録と日記を書き始める
●藤原保信氏の『学問へのひとつの道』を読んで
●妹・佐々木保子の生き方
●横山大観との出会い
●自伝について
●私の知的、道徳的発展に貢献した人々への感謝
第二章 幼少の日々
■ 大空襲のもとで 泉谷周一
■ 私たちの小学校卒業式 泉谷周一
●秋田の横手に疎開して
●小学生時代
第三章 働きながら学ぶ
●中学生時代
●栄中学校のクラス会
●高校生時代
第四章 大学生時代
●中才会
●中川竹雄・チエ夫妻への感謝
■ 親類――カネとチエ 中川淳子
●児童文化研究会に入る
●家庭教師と九州旅行
●安保反対のデモに参加して
●卒業論文と教育実習
●栗又秀一郎君との出会い
第五章 学問への道――大学院への進学
●朝永振一郎先生の業績
●周一兄の結婚
■ 私のおじいちゃんとおばあちゃん 鈴木斐子
●都立高校の教師になる
●東海大学でドイツ語を教える
●奈良、京都への旅(昭和四一年三月一一日から三月一六日まで)
●福島工業高等専門学校の専任講師になる
●除夜の鐘の音を聞きながら
●機械工学科えむよんのクラス会
■ 私にとっての横山大観 鈴木光一
●東京教育大学文学部の助手となる
●山崎団地から上高田住宅に移住、朋子と裕の誕生
●研究課題――倫理学とは
●J・S・ミルの研究を進める
第六章 横浜国立大学への転任
●ミルの会に参加して
●沼田滋夫先生が亡くなる
●死神とすれ違う
●『J・S・ミル初期著作集』の翻訳など
●汝自身を知れ
●森有正氏の「感覚」と「経験」
●川村仁也先生が亡くなる
●はじめての海外旅行(昭和五七年六月二六日~七月二○日)
第七章 教授に昇任する
●在外研究(昭和六○年七月四日~昭和六一年五月三日)
●学部改革にかかわる
●義父・竹内誠氏の死
●大島康正先生と古田光先生が亡くなる
●韓国への旅、アバ(母)の死
●一般教育の改善に取り組む
●堀田彰先生が亡くなる
●附属横浜中学校の校長となる
第八章 カナダ横断の旅
●拙著『ヒューム』(研究社出版)の公刊
■ 思想と文学の橋渡し 中野好之
■『ヒューム』(研究社出版)の書評 輪島達郎
●生きがいについて
●ギリシアへの旅
●小牧治先生が亡くなる
●『ミル「自由論」の再読』の書評
■ 自由の真の価値とは――手垢のついた概念を現代に再生する試み 松園 伸
第九章 横浜国立大学を定年退職
●日本イギリス哲学会の会長となる
●木下英夫先生が亡くなる
●中部大学の専任教授となる
●息子・裕の結婚と義母・竹内彗子さんの死
●ドイツ、オーストリア、イタリアへの旅
●基底細胞がんの手術
●日本ピューリタニズム学会にかかわる
●インドへの旅(平成二○年三月五日から三月一六日まで)
第一〇章 ミル研究に科学研究費費の補助
●妹・佐々木保子の死
■ 舞と悠 佐々木奈津美
●ベルリンとニコライ教会での『ドイツ・レクイエム』
第一一章 東日本大震災
■ 東京湾アクアラインの橋の上で 栗又秀一郎
●高木仁三郎氏の警告
●津波の被害地を見る
●泉谷朋子の結婚、竹内玄君の結婚
●芝生一面に実生のクロマツ
●ベトナムへの旅(二○一二年四月二四日―五月二日)
●矢内光一先生の最終講義
●栗又秀一郎夫妻との旅
●竹内謙・阿也子夫妻の死
第一二章 ポーランドへの旅
●宮崎隆先生の業績
●グラスミアで楽園を見る
●山下重一先生との対話
■『J・S・ミルとI・バーリンの政治思想』の書評 村上智章
●酒田から由利本荘へ
●『松図鑑』のなかに腰越の家の庭を見つける
●岡倉天心の再建された六角堂を眺める
年譜
著作・論文目録