前書きなど
あとがき
この日誌を書き始めるにあたって僕は「精神のストリップ」という醜悪な作業を敢えて行うのだという趣旨のことを書いた。本としてまとめるにあたり、たった一度、79週間分を通しで読み返してみた。何だ、「精神のストリップ」になんかなっていないじゃないか。ストリップにしてはどこか中途半端で、まだ下着をつけたまま全てを晒しているわけじゃあないな、と。やはりいろいろなことを配慮しながら書き淀んでいたのがわかる。ほんとうに書きたいことをどこかで避けていたんじゃないか。たとえば、伊藤詩織さんという女性が僕も知っている元後輩の男に、看過できない酷い仕打ちを受けたこと。そのことを知った自分が本当は何をしなければならないのかという葛藤について。それがもっと書かれているべきだ。たとえば、自分を取り巻く職場環境のなかで起きていたほんとうに不当な権力の行使について。保身を懸命に考える「凡庸な悪」について。それらのことがらは行間にわずかに滲んでいるだけだ。
さらに、「精神のストリップ」を言うならば、精神がまだまだ軟弱だ。もっともっと徹底的に考え抜け。持続的な強度を欠いている、と。だから、そのようなものをお読みいただき、本当に読者の方々には申し訳ないという気持ちがある。自嘲的にならざるを得ないのは、この日記で一番多い記述が、酒場に駆け込んで憂さ晴らしの酒をあおっていた行動と、プールに駆け込んで何かを洗い流すようにひたすら泳いでいた自分の姿だ。泳いで、飲んで、漂流して。ただ、言い訳に聞こえるかもしれないけれど、現場で取材をしようという意志だけは僕はいつだって持ち続けていた(いる)。
暗黒と言っていい時代に僕たちは生きている。ジャーナリストの清沢洌が、太平洋戦争勃発のちょうど一年後の1942年12月9日から書き出し、死の直前の1945年5月5日まで二年半近くにわたって書き続けた日記に『暗黒日記』という貴重な同時代史がある。あのような時代にも、精神の内面の自由を失わずにそれを書きしるしていた日本人がいた。お隣の国・韓国で保守政権時代にむごい弾圧を受けたテレビ局のジャーナリストたちのたたかいを記録したドキュメンタリー映画『共犯者たち』のなかで、たたかいの末にガンに倒れた男性記者が呟いていた。「少なくともこんな暗黒時代にも、私たちは沈黙はしなかった」。
つたない不十分な日誌ではあっても、理不尽な現実に対して、僕も口をつぐんでいる気はない。
本書は、朝日新聞社のインターネット言論サイトWEBRONZAで連載された『金平茂紀の漂流キャスター日誌』の2016年9月26日から2018年4月2日までの79週間分を単行本化したものだ。ちなみに連載はその後も継続しており、さいわいなことに少なくない読者の支持を得ているようだ。WEBRONZAの担当編集者・高橋伸児氏には、そもそもの連載の立ち上げからお世話になり続けている。お礼を申し上げたい。単行本化にあたっても快諾をいただき感謝。さらに『沖縄わじわじー通信』の刊行以来、いやそれ以前の初代原子力資料情報室以来、お世話になってきた七つ森書館の中里英章さんには、筆者の作業の非効率さにさんざん耐え抜いていただき、深謝。素敵な装丁を手掛けていただいた鈴木一誌さん、ありがとうございました。
2018年7月6日
オウム真理教事件の麻原教祖(松本智津夫死刑囚)ら7人の死刑が執行された日に
金平茂紀