目次
世界の構造転換と日本の全体知
メディアと民主主義
米・欧・中三極の時代
文化でつながるアジア
民主政治の進化と市民社会の活性化
前書きなど
序 政権交代がもたらしたもの
この本は、「フォーラムin札幌時計台」の講演をもとにしたもので、同じ七つ森書館から刊行された『政治を語る言葉』、『ポスト新自由主義』の続編に当たる。この講演会は北海道大学法学部のスタッフ・学生が作るデモスノルテというグループが主催しているもので、今回の講演シリーズは二〇〇七年八月から始まった。この企画は、直接的に市民を一つの方向に動かすことを目的としたものではなかった。遠からず政治の大きな転換が起こるだろうと予想した上で、その転換を日本の民主主義を深化させるための好機として生かすために何を考えておくべきか、優れた思索家の話を聞きながら考えようという趣旨で始めたのである。この巻に収められたのは、二〇〇八年秋に開催された「メディアの現在」と、二〇〇九年春に開催された「世界を視る」の一部である。
もちろん、これらの講演は政権交代の前に行われたものであり、当時の政治状況を前提としている。しかし、長い間続いた自民党政権や官僚支配の問題点について、それぞれの論者は鋭く追及し、次の政治のあり方についての考察を展開してくれた。いま、改めて読み直すことの意味は大きいと思う。
ただ、政権交代をはさんで講演録を出すに当たって、二〇〇九年夏の政権交代の意味について、冒頭で簡単に整理しておきたい。
■可能性の芸術としての政治を実感させる
二〇〇九年九月に、国民的な興奮の中で発足した鳩山政権はさまざまなスローガンを打ち出し、政治の変化を国民に印象づけようとしてきた。政治の変化を実感させるためには、言葉の変化から始まることも当然である。地球温暖化問題への取り組みのように、二酸化炭素の排出量を二十五パーセント削減するという高い目標を設定すること自体に政治的な決断が必要なテーマの場合、政権交代によって政治が変わったことを実感できた。まさに政治の役割は、財源や法制度をタテにとってできない理由を並べることではなく、目指すべき方向を明示し、国民を鼓舞することにある。その意味で、鳩山政権の滑り出しは見事であった。国際舞台で自国の首相が演説する様子を誇らしく思えるということは、おそらくほとんどの日本人にとって初めての経験であったろう。
また、生活保護の母子加算の復活のように、前政権が単なる財政の帳尻あわせのために行った政策を是正するという点では、政治主導がよい意味で発揮された。八ッ場ダムの中止のように、長年の政官業の癒着の象徴のような公共事業を中止することにも、政治の力は発揮された。こうした政策、事業については、いままで市民が復活や中止の必要性を懸命に説いても、官僚はそれに反対する理由を嫌になるまで並べ立てていた。できないはずの理由が数十もあったような政策も、政権が代わり、政治指導者が明確な方針を決定すればたちまちできるようになった。このような経験は、政治は可能性の芸術というビスマルクの言葉を、日本人に初めて実感させた。
また、国家戦略室の政策参与に「年越し派遣村」の村長、湯浅誠氏を起用し、緊急雇用対策を打ち出そうとしていることも、政権交代の意義を感じさせる。政権交代によって政策を論じることのできる人間が入れ替わったことは、極めて重要である。従来の政策形成過程は、いわば会員制のクラブのようなものであった。自民党や官僚と密接な関係、言い換えれば政官業癒着の一翼を担ってきた組織や団体は、メンバーとして政策形成過程に迎え入れられていた。そして、それらの人々の要求は政策課題としてすぐに認知され、予算措置や法整備を獲得してきた。コメ市場の開放の際に打ち出された総額六兆百億円の農業対策費など、その典型であった。
しかし、その反面、会員ではない人々は、政策形成過程に切実な苦しみを訴えても、なかなか相手にしてもらえなかった。薬害被害者、失業者、母子家庭などはその典型である。政権交代は、政策形成過程の入り口にあった固い扉をこじ開け、これを出入り自由な場に変えたように、いまのところは見える。湯浅氏の起用は、そうした変化の分かりやすい例である。……