前書きなど
おわりに
杉浦日向子さんの話題は、今までも、佐高さんと話すときにたびたび出ていた。佐高さんは本当に日向子さんがかわいかったようで、妹のことを話しているようだった。世話好きな佐高さんのこと。頼りにされていたことも、嬉しかったようである。
私もさまざま思い出すとともに、あらためて漫画を中断したことが惜しく、また、漫画について私なりの評価をきちんとしなかったことが悔やまれた。やはり、仕事を続けていただきたいかたには、それをはっきり伝えるべきだ。
しかし全体としてこの本は、日向子さんという大きな存在を借りながら、私と佐高さんが自分たちのことを話してしまったような気がする。日向子さんは決して自己主張の強いかたではなかったから、許していただけるのではないか、と勝手に考えている。生きている者は、生きているだけで、ずいぶん勝手な真似をするものだ。
『拝啓藤沢周平様』(イースト・プレス、二〇〇八年)では、藤沢周平という偉大な存在の肩を借りながら、対談をした。どうも私と佐高信は、逝去者を肴に話を煮詰める、という傾向があるようだ。しかもその中で、自分たちのことを話して(話させて)しまう。いいのだろうか? そんなことをして……。しかし対談している時の気持ちを打ち明けると、まさにそこに藤沢周平や杉浦日向子がいて、鼎談をしているような気分なのである。本書の中で私は盂蘭盆会のことを書いているが、まさに一緒に盆踊りを踊っているようなのだ。盆踊りは死者がいないと意味がないし、面白くない。私と佐高信は、もしかしたら逝去者に親和的であり、どこかで自分の死もみつめながら、生きているのかも知れない。
ところで、『拝啓藤沢周平様』では、私が佐高信の「過去」を聞き出した。すると本書の対談の席では、その仕返しのように、佐高さんは私の過去に迫った。しかし前回は恋愛や結婚のような私生活に及んだのだが、今度はそういう気配はみじんもなく、助かった。私にとっては、もたもた歩いてきたこの四〇年、自分の思考の歩みに力を貸してくれた、一本一本の杖を改めて眺めるような気分だった。その結果、さらに良いものを書けるといいのだが、思考の歩みはもっともたついているので、いつ止まってしまうかわからない。
ところで、出来上がったゲラを拝見したら、「こんなにまとも、真面目に話しただろうか」と思うほど、高尚なできになっている。いいかげんに、とつとつと、笑いながら対談していたような気がするからだ。編集をして下さった七つ森書館さんの、評判の凄腕のたまものであろう。対談は編集しだいで、つまらなくも面白くもなる。私自身は、佐高さんと話すことは充分に楽しく、あとはおまかせ、なのだが、赤子を大人に育てるような編集は、さぞかしご苦労であったろうと思う。感謝に堪えない。
もちろん、何の役にも立たない私の青臭いころの話を、こんなに真剣に聞いてくださった佐高さんに、深く感謝している。次は私が佐高さんの思考の足跡に迫る番だが、もっと勉強しておかねばならないだろう。さて、今度はどなたを肴にしようか。
二〇〇九年八月旧盆のころ 田中優子