前書きなど
はじめに──新計画策定委員になって
二〇〇五年一〇月、日本の原子力政策の基本的考え方がまとまった。この新しい考え方は原子力政策大綱と呼ぶこととなった。政策の審議は原子力委員会が設置した新計画策定会議で行なわれた。その会議に一員として参加して議論に加わってきた。
二〇〇四年六月初旬に原子力委員会から策定委員就任への打診があり、原子力資料情報室のスタッフや理事、他の地域の方々と相談して、委員就任を受諾することとなった。受諾までの一週間は大変あわただしかった。
原子力政策は原子力活動を進めるためのものである。ところが、筆者の属する原子力資料情報室は一九七五年に設立され、設立時の定款には反原発を目指すことが明記されていた。九九年には非営利特定活動同法人の認証を得たが、その定款にも表現は柔らかくなっているが「原子力に依存しないエネルギーシステムの導入」を目指すと明記している。原子力委員会や原子力を推進する人たちとはまったく逆の立場に立っている。
立場は明確に違っても議論は進めるべきだとの考えから、当情報室はこれまでも原子力委員会との討論会の主催や共催など、あるいは原子力委員会が主催する討論会などにパネリストとして参加するなどしてきた。
一九九三年九月二五日に原子力資料情報室(当時は高木仁三郎代表)は原子力産業会議と共催して「今、なぜプルトニウムか」を開催した。推進側との討論は、賛成反対がテーブルについて議論する道筋を開いた画期的な出来事だったといえよう。それは、「もんじゅ」をめぐる討論会や核燃料輸送をめぐる神奈川の市民グループと科学技術庁(当時)との討論会、原子力政策円卓会議などへとつながっていった。その他にもさまざまな各地の取り組みがあっただろう。
また、二〇〇〇年に第九回の原子力開発利用長期計画の改定が行なわれたときには、当情報室ではスタッフが分担して会議を傍聴し、計画案についての一般からの意見募集が行なわれている間に、当時の策定委員会の委員長代理ら三名を招いて公開討論会を主催した。討論会を終えるにあたって、私たちは参加者に積極的な意見応募を訴えた。政策へ市民の意見を反映することを目指していたからだ。一〇〇〇件を超える応募意見の多くは原発や核燃料サイクルからの撤退を求めていた。その結果は、座長の那須翔氏(当時、東京電力社長)に、「愕然」と言わしめるほど衝撃的だった。
こういった政策提言のかかわり方からすれば、委員を受諾して、策定会議の中で論を尽くすべきだ。相談の中では、そういった意見が多数だった。その一方で、原子力委員会は推進の計画を立てるところだから政策転換はできずに反対派も含めて議論したという形作りに利用されるだけという指摘もあった。さらに、誰が委員に適任かという意見までさまざまな視点が出された。短い間にさまざまなことを議論した結果、委員として策定会議の中で脱原発の視点から大いに主張し、発言内容を意見書として提出して配布資料あるいは議事録に残していくことにした。
原子力政策といっても、筆者が日常的に問題にしているのは発電システムとしての利用や関連の研究開発の一部で(それも十分とはいえないのだが)、策定会議で議論されるそのほかの研究開発や放射線利用などなど広い分野にわたってはカバーできていない。会議では力不足を実感し続けたが、多くの人の助けのおかげで、それでも三三回の会議のうち三回を除いて毎回意見書を出すことができた。
エネルギー環境政策研究所の方々や地層処分研究会の方々には多く協力してもらった。当情報室の山口幸夫共同代表、古川路明理事には相談にのってもらった。西尾漠共同代表と勝田忠広氏は策定会議を毎回傍聴し、意見書作成などの作業にいわばチームとしてかかわってくれた。
委員として、三三回の策定会議と六回の小委員会に出席したが、初体験でもあり、緊張の連続で、気の休まることのない時間であった。渦中にあるときにはずいぶんと長く感じられた委員活動だが、振り返ってみると、あっという間の出来事だったような感覚だ。脱原発の立場から十分に主張できたかどうか、精いっぱいやったつもりだが、思い返せばあれもこれもと言い尽くせなかったことが頭の中を駆け巡る。
審議は〇五年九月二九日まで行ない「原子力政策大綱」としてまとめた。策定会議のまとめ報告は同年の一〇月一一日に原子力委員会決定となり、その後、一四日に「原子力政策に関する基本方針として尊重し、原子力の研究、開発及び利用を推進することとする」との閣議決定が行なわれた。「今後一〇年程度の期間を一つの目安とした」日本の原子力政策が定まったのである。
原子力政策を決定する場に委員として参加することになるとは夢にも思わなかったが、偶然のいたずらか、体験することになった。これを個人の中に留めておくのはもったいない、筆者が垣間見た現場や体験をまとめることを通して、少しでも多くの人が日本の原子力政策について考えるきっかけになればと思い、本書をまとめることにした。
なお、毎回の審議に事務局から提出された資料、委員の意見書、議事録などは、原子力委員会が開催したご意見を聞く会の記録などとともに、同委員会のホームページで公開されている。また、筆者が月ごとに会議の様子を記した策定会議月誌は原子力資料情報室のホームページで見ることができる。
一年四カ月ほど続いた会議の間中、傍聴やアドバイスなど、多くの方々に協力をいただいた。こうした協力なくして、策定委員は務まらなかったし、本書も世に誕生しなかった。また、遅れがちな原稿をまとめてくれた七つ森書館のみなさんにも感謝する。お世話になった多くの方々に、この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。