紹介
自己・人生・経験を語る意味とは
「自己を語る」営みに着目する生活史、ナラティブ、ライフストーリー、対話的構築主義など多様な方法論の競演が実現した待望の社会学論集。「いま、ここ」の自己物語の深まり、「生活・人生としてのライフ」の探求の広がりが近年際立っています。自己表現の語り(ライフログ、一人芝居、ドクターズストーリーズ、転機、共に書く自分史、たった一人のライフストーリー)と、問題経験の語り(薬物依存からの回復、ペドファイル(幼児性愛)論争、当事者視点)の2部構成から自己のあり方と現代の生きづらさに迫ります。エスノメソドロジー、セクシュアル・マイノリティ、サファリング、当事者研究のコラムにもご注目ください。
目次
自己語りの社会学 目次
編者まえがき(浅野 智彦)
第Ⅰ部 自己表現の語り
第1章 「いま」を確かに残す──ライフログとアイデンティティの視覚化……………牧野 智和
1 手帳に魅せられた人々
2 「書かれた私」の社会学──日記研究と自分史研究を中心に
3 「自己の書法」の現在形としてのライフログ
4 物質的な異種混交性への配慮
第2章 なぜ演じるのか──フィクションに託すサファリングの語り……………………西倉 実季
1 「この、顔のせいで」
2 演じることと人生
3 一人芝居『悪魔』──登場人物に代弁してもらう
4 一人芝居『華』──複数の自己を対話させる
5 サファリングの創造性
6 フィクションを介した自己表現
第3章 もうひとつのドクターズ・ストーリー…………………………………………鷹田 佳典
──患者の死をめぐる小児科医の苦悩の語り
1 「自分は天国に行ったらいけない」
2 医師の語りと苦悩
3 A医師のストーリー
4 治療をめぐる医師の苦悩
5 医師の「苦悩の語り」をどう聴くか
研究コラム サファリング研究(鷹田 佳典)
第4章 人生の転機について語る人々──自由記述を量的にとらえる方法…………浅野 智彦
1 自由回答欄の自己語り
2 量的研究における自由記述の扱い
3 データと分析方針
4 転機を経験するのは誰か
5 転機を詳しく語るのは誰か
6 転機研究のこれまでとこれから
第5章 自己を語ること・人生を書くこと──ともに書く自分史の世界……………小林 多寿子
1 人生史サークル 黄櫨の会
2 自己語りとしての自分史
3 ある女性の人生の物語──なにを書いたのか
4 書く実践について語る
5 人生の物語を書く
6 持続する自分史の世界
第6章 たった一人のライフストーリー──自己語りの一貫性と複数性……………桜 井 厚
1 『口述の生活史』から四〇年
2 社会学的リアリティ
3 ライフストーリー・インタビューの自己
4 語りにおける一貫性/非一貫性
5 自己語りのコンテクスト
6 「一粒の砂の中の天国」
第Ⅱ部 問題経験の語り
第7章 薬物をやめ続けるための自己物語…………………………………………………伊藤 秀樹
──再使用の危機に直面したダルクスタッフの語り
1 薬物再使用の危機とは
2 自己を語る取り組み
3 お酒をやめ続けるための二つの自己物語
4 二つの自己物語の背景
第8章 私利私欲を手放し、匿名の自己を生きる………………………………………中村 英代
─ステップ・グループと依存症からの回復
1 薬物使用者を取り巻く二つの世界
2 弱い自己が語られる場
3 ダルクでは何が行われているのか
4 ステップ・グループのの伝統
5 ベイトソンの分裂生成理論から考える
6 語りと共同体
第9章 人生が変わるとき……………………………………………………………………………森 一平
──薬物依存からの「回復」の語りとライフストーリーの理解可能性
1 「個人の語り」の社会学的研究に向けて
2 対話的構築主義と語りの理解(不)可能性
3 語りそのものの理解可能性──ダルクスタッフBさんによる語りの分析
4 方法の記述の社会学的可能性
研究コラム エスノメソドロジー(小宮 友根)
第10章 「ペドファイルである」という問題経験の語り……………………………湯川 やよい
──英語圏での言説のせめぎあいをめぐって
1 あるペドファイル(小児性愛者)男性の語りとそれに対する批判
2 社会問題に至らない「問題経験」の語り
3 ペドファイル問題の語られ方──ドミナント・ストーリーへのクレイム申し立て
4 非触法ペドファイルの語り──どのように聴かれ、受け止められるのか
5 「ペドファイルである」という自己を語る難しさ
研究コラム セクシュアル・マイノリティ研究(三部 倫子)
第11章 当事者研究が生み出す自己………………………………………………………………野口 裕二
1 はじめに
2 当事者研究の展開
3 当事者研究と自己
4 新しい「再帰的自己」
5 おわりに
研究コラム 当事者研究(野口 裕二)
編者あとがき(小林 多寿子)
参考文献 ⒇〜⑻
事項索引・人名索引 ⑺〜⑷
組版 武 秀樹
装幀 鈴木敬子
前書きなど
自己語りの社会学 編者まえがき
浅野 智彦
本書は「自己を語る」という営みに着目した社会学的成果を収めた論文集である。目次を見ていただければわかるように、本書に収録された論文は対象と方法において多様である。一読すればこの領域の今日における到達点がおおよそ理解できるよう目指したつもりである。そのために、自己語りに関わる代表的な研究者に執筆をお願いした。寄せられた論文は、いずれも編者の期待をはるかに上回るものであった。
本書を編むきっかけとなったのは、関東社会学会の二〇一三年から一五年にかけての研究活動委員会のいくつかの企画である。企画の詳細はあとがきをご参照いただくとして、ここではそれらの一連の企画の趣旨を要約紹介することで本書の出発点を確認しておきたい(全文は関東社会学会HP)。
本テーマ部会の目的は、「自己について語る」という営みについての理論を再検討することです。
自分自身を物語るという営みについて、一九九〇年代から二〇〇〇年代初頭にかけてさまざまな理論
的検討がなされてきました(ライフ・ヒストリー/ライフ・ストーリー論、自己物語論)。自分自身についての語りが、語りがなされる時点からの遡及的な再構成であること、語り手と聞き手との相互行為に依存して構成されること(「ヴァージョンの展開」)、語りがつねに現時点での自己再帰性(「再帰的プロジェクトとしての自己」)の一環としてなされることなどが明らかにされました。
その一方で、いくつかの難題も明らかになっています。語られる物語はヒストリーか(「今ここ」での)ストーリーか(自分「史」か「自分」史か)、物語は事実か、付与された意味か(「偽記憶」問題)、そもそも分析対象は「物語」か(物語が埋め込まれている)「関係」か、等々。
続く二〇〇〇年代は、経験的な研究を蓄積する時期といえるでしょう。さまざまな領域で、人々の自己語りが聞き取られ、検討され、分析されてきました。またその自己語りを支援し、増殖させる社会的な仕組み(「自己啓発」「自己分析」等)にも調査研究が行われてきました。では経験的研究の蓄積を踏まえて、理論を振り返ってみたときどのようなことがいえるでしょうか。かつて見いだされた問題は解決(あるいは脱問題化)されたのでしょうか。現時点での知見から、かつての問題について何がいえるのでしょうか。このような問いかけは、同時に、現在も旺盛に進められている自己語りの研究の理論的な含意について振り返る機会にもなるはずです(関東社会学会ニュース 2013. 10. 18, No. 134)。
この企画からすでに五年がたった。この企画趣旨に照らしてみると非常に大きな意義があったように思われる。すなわちこの間に、対話的構築主義、生活史研究、エスノメソドロジーなどの新しい研究成果が数多く出版されるとともに、それら方法論を異にする研究者の間で相互の批判的検討の機会が格段に増えた。関東社会学会の一連の企画がそのような流れに先鞭をつけた(と、研究活動委員の一人としては自負しているところであるが)ことを考えると、それら近年の進展を踏まえ、当初の趣旨を発展させて展開した論文集を出版することには、大きな意義があるものと信じる。
本書を読み進めるにあたり、二つの用語についてあらかじめ補足的な説明をしておきたい。
ひとつは、「自己語り」という用語についてだ。同じように用いられる用語に「自己物語(self-narrative)」あるいは「ナラティヴ」などがある。自己について語るという営みをできるだけ広くとらえるとともに、それをある種の作動として動的な相において理解したいというのが、本書の狙いである。そのためには、完結した構造のイメージを色濃くもつ「物語」という言葉はややなじまないように思われた。本書をお読みいただければわかるように、物語という言葉が通常連想させるものよりも、ある意味でゆるかったり、非言語的だったりする内容も、ここでは自己語りとして扱っている。
自己物語の原語であるself-narrative にはそのような動的な含意があり、それを生かすためにあえてカタカナで表記しているのが「ナラティヴ」という用語であろう。だがその言葉は、カタカナで日常語とのなじみがよくないという点はおくとしても、「自己を」語るという側面をうまく盛り込むことができない。私たちがとらえたいのは人々がその日々の生活の中で行う営みとしての自己語りである。自己語りはそのような事情から選ばれた用語である。
もうひとつは、「ライフ」という用語だ。本書を編むにあたって何度か行った研究会の席上、しばしば討論の主題となったのは「ライフ」をどのようにとらえていくのか、ということであった。自己語りとは、自己のライフについての語りであり、だからこそそれはライフストーリーやライフヒストリー、あるいは生活史として聞き取られる。一方においてそれは人生であり、他方において生活でもある。加えて、本書で取り上げている「ライフログ」という言葉が示唆するように、さらに広い現象も指し示している。
生活・人生としてのライフ。生命としてのライフ。特に後者の意味でのライフは、たとえばフーコーの生権力論や、アガンベンのビオス/ゾーエーといった問題系にもつながる広がりをもっている。もちろんそれらのトピックが本書の直接の主題ではないのだが、研究会での議論を通してそのような広がりが認識されていたことをここで確認しておきたい。本書を通読していただければ、いくつかの章の内容にその認識が反映していることを読み取ってもらえると思う。
本書は、自己語りに注目する際の焦点の違いに即して、二部構成となっている。
まず、自己を語る営み(自己語り)は、それが自分自身を経験する一つの様式であると同時に、それを他人に伝え、理解してもらうための表現でもある。そのいわば形式的な側面に注目した論考を集めたのが第Ⅰ部となる。自己語りはさまざまな様式を取る。ライフログ(手帳やノートの新しい用法)はその最も新しい形式かもしれない(第1章 牧野論文)。自分自身をときにフィクションを通して語ることが、独特の深さと強さをもつことがある(第2章 西倉論文)。自己はまた、専門職の中に埋め込まれた形でも語られうる。医師たちの語りはそのようなものの一つだ(第3章 鷹田論文)。アンケートのような客観的回答にも自己を語るスペースが断片的に(あるいはときに言い訳めいた形で)設けられている。短い自由記述の中に自己語りの最も原初的な形態を見いだすことができよう(第4章 浅野論文)。仲間とともに自分史を執筆するのは一九八〇年代以降、いわば定番化した自己語りの様式である(第5章 小林論文)。そしてさまざまな自己語りの形式(自分が─自分自身を/について─語る)が、社会学者にとってある種の理論的な難題を引き起こすのは、それがたった一人の語りであるときだろう(第6章 桜井論文)。
以上のように第Ⅰ部が語りの形式の多様性によって特徴づけられるとしたら、第Ⅱ部にはむしろ語りの内容あるいは主題に重心をおいた論考を集めた。人生常に起きるさまざまな問題は、しばしば自己語りを引き起こすきっかけとなるものだ。たとえば薬物やアルコール依存という経験がそれだ(第7、8、9章 伊藤、中村、森論文)。依存症からの回復はしばしば、自己についての特徴的な語りと相即的に進んでいくという。そのような語りに注目した三つの論考は、その主題を共有しつつもアプローチの仕方において対照的であり、ぜひ比較しながら読んでいただきたい。また第9章は対話的構築主義への批評にもなっており、第6章と合わせて読むことで双方への理解が一層深まるものと思う。他方、同じように問題の経験でありながら、共感されることの少ない語りの一つにペドファイル(ペドフィリア、小児性愛)のそれがある(第10章 湯川論文)。いわば堂々とは語りにくい自己の語りはどのような特徴をもつであろうか。このような「自己を語る」という営み自体が、語りの主題/内容になることもありうる。当事者研究はそのようなメタ的な視点を当事者たち自身がもつような営みである(第11章 野口論文)。このような当事者たちの自己観察の視点は、社会学者の視点とどのような関係にあるのか、重要な理論的問題を提起するであろう。
もちろん語りをその形式と内容にきれいに分けることはできない。形式は内容を規定し、内容はしばしば形式を選ぶ。同じように自己を語るといっても、アンケート調査の自由回答欄に書くのにふさわしいと感じられることは、依存症者の集まりで語るのにふさわしいと感じられるものとはおそらく異なっているであろう。自己語りは、形式と内容が支え合いながら一つの「語り」として成立している。それでもあえて本書が二部構成をとるのは、分かち難く支え合っているとはいえ、異なる側面から光を当てることによって、自己語りに内在する二つの問題系が──ちょうど楕円の二つの焦点のように──浮かび上がってくるように思われたからだ。
一方において形式の側面に当てられた光は、さまざまな内容の語りを受け入れる表出の容器としての「自己語り」という問題系を照らし出すであろう。この光のもとでは、自分史を描くこととアンケートの自由記述欄に回答を記入することが比較可能な視点のもとにおかれる、そのような視野が開かれる。他方において内容の側面に当てられた光は、語られた問題経験に対して自己語りがどのような働きをもつのか(たとえば「回復」に有用なのか)という問題系を照らし出すであろう。この光のもとでは、自己語りがさまざまな問題経験に対してもつ意味や機能という面から見られるような、そのような視野が開かれる。
なお、読者の関心を深めていただくために、各章末尾に推薦文献を三点示し、さらに全体を通して、重要な概念・研究対象についてより正確な、あるいはより踏み込んだ理解を促すために、四つの研究コラムをおいた(サファリング研究、エスノメソドロジー、セクシュアル・マイノリティ研究、当事者研究)。
第Ⅰ部、第Ⅱ部いずれに収められた論考も具体的な素材を記述しつつ、理論的な問題にアプローチするものとなっている。両者の比率は章によって異なるが、読者の皆さんのお好みで、興味のある章から読み出していただければと思う。どの章から始めても、必ず他の章へと関心を誘発されるものと思う。いくつかの章を読み終えたときに、自己語りという研究領域のある程度の見取り図が読者の前に浮かび上がってくるなら、編者の目論見は果たされたことになるだろう。