目次
子どもの知性と大人の誤解 目次
はじめに
日本語版への序文
第1章 子ども、見かけ、現実
現実と見かけの世界の区別について、子どもが理解していること
前概念的なのか、それとも真に概念的なのか
―子どもの会話スキルと、見かけと現実の区別に関する研究
子どもの理解の何が発達するのか?作業モデル
コラム:どう見たってテロリストだ!
第2章 言語、会話、心の理論
言語
心の理論に関する推論
発達の道しるべ 聴覚障害児における心の理論
文法を超える心 心の理論の推論と、文法の関連性
心のモジュールと文化的多様性
コラム:子羊は心の理論をもつか?
第3章 天文学と地理学
素朴な知識と合成メンタルモデルは、世界のどの子どもにもあるのだろうか?
子どもが何を理解しているかについて、どう質問すればよいのだろうか?
天文学と地理学に関する子どもの理解を再検討する
まとめ子どもの天文学に関するモデルと方法論
コラム:アメリカ横断の旅
第4章 生物学、食べ物、衛生
子どもの生物学的概念における概念変化
細菌と病気の生物学的基礎に関する子どもの理解
ひとたび接触したら、その後もずっと影響する
―アメリカとヒンドゥー教のインドの子どもにおける、汚染の本質と浄化の概念
第三世界の国々における生物学、食べ物、衛生に関する知識
まとめ保守的 対 非保守的概念変化
コラム:嫌悪は武器である
第5章 生と死
生物学的遺伝に関する子どもの理解
生命、死、そして死後についての概念
コラム:飛行機に詰め込まれて
第6章 数と算数
誰もが数えるのだろうか?
言語の、数からの独立性
子どもの数理解に対する異なる見方
部分・全体に関する理解分数と無限性
コラム:小国協議会
第7章 自閉症と発達障害
自閉症における数と芸術への執着
自閉症の心の理論
自閉症における言語の重要性
自閉症児の言語障害は、彼らが社会的世界に注意を向けないことを説明する手がかりとなるだろうか?
自閉症と、声と話しことばに対する注意因果経路の探索
自閉症の一貫した統合的説明に向けて
コラム:注意を払う
第8章 文化、コミュニケーション、そして子どもが理解していること
子どもの理解を判断するための適切な質問と文脈を見つける
スカラー含意と会話の理解の発達
話し手の話す文脈への注意
子どもの概念的知識と会話コンピテンスにはどんな特徴があるか
まとめ
訳者あとがき
著作権
参考書
文献
注
事項索引
人名索引
前書きなど
子どもの知性と大人の誤解 はじめに
子どもの知識は、どのような性質をもつのだろうか。この本の目的は、可能な限り広範囲な証拠を、必要な詳細を犠牲にすることなく読者に要約して示すことである。本書で紹介する研究成果は、他者の思考や信念についての子どもの理解、そしてそれらが自分自身の思考や信念、現実とどのように異なるのかについての理解、さらには、地球の形や宇宙におけるその動き、食べ物や健康、および衛生の重要性、生と死の過程、数と計算などについての子どもの理解にかかわっている。その他の問題として、標準的には発達していない子ども、特に自閉症と診断された子どもの知識が、標準的に発達している同年齢の子どもと比べてどのように異なるのかについても取り上げる。
これらのどの問題について研究する際にも、私たちは次のような根本的な問いを考慮する必要がある。それはすなわち、子どもが本当に理解していることを示すことは、なぜこれほどまでに難しいのかという問いである。子どもにかかわる仕事をしている人であれば誰でもそう証言するだろう。たとえば、子どもは発達の初期段階では、根本にある現実ではなく見かけによって考えが左右されてしまうため、他者の心や事物の目に見えない性質に気づくことができないからだろうか。それとも子どもは、大人からの質問の目的や関連性を理解できず、自分がどこまで理解しているか反映しない答えを言ってしまうのだろうか。この論争の中心には、それぞれの知識領域において、子どもは初期の理解においてどれほどの制限あるいは欠損を抱えているのかという問題がある。子どもには最初何らかの認識上の欠損があり、それが事実としての情報に抵抗するため、学習の機会があってもその欠損が克服されず、発達のために根本的な概念変化を経る必要があるという説をめぐる論争があるのである。
この論争を解決し、子どもが真に理解できること、また実際に理解していることを明らかにするためには、二つの誤りの間でうまく舵をとらねばならない。子どもが知識をもっていないのにもっていると結論づける誤り「偽陽性」と、子どもが実際には知識をもっているのにもっていないと結論づける誤り「偽陰性」である。もちろん、子どもの理解に関する判断だけが、偽陽性や偽陰性に基づく結論の被害を受けやすいというわけではない。たとえば、大人も日常関係のなかで、しょっちゅうこういう間違いをおかしている。パートナーを選ぶ際、実際にはふさわしくないのに選んでしまうという偽陽性の誤りをおかすし、逆に、実際にはふさわしいパートナーなのに、その人を受け容れるのを拒んでしまうという偽陰性の誤りをおかすことだってある。
おそらく大人なら、そういう誤りに対処できるだけ強いこともあろう。しかし、子どもが何を理解でき、実際に何を理解しているかについて、偽陽性あるいは偽陰性の結論を下すなら、子どもの未来の幸福に消すことのできない影響を与えてしまう可能性がある。とうてい理解できないようなストレスの多い学習環境を用意してしまうかもしれないし、逆に、最も有効な潜在能力を伸ばすことのできるあらゆる可能性を閉ざしてしまうかもしれない。前者については、次に続く章でみていくように、子どもには会話経験が少ないのだから、質問がどういう意図をもち、どういう関連があるのかを理解しやすいよう明示的に質問するなど、「会話的に豊かな」技術への配慮が必要である。
発達初期に、子どもに最大のサポートを与える文化についても考慮しなければならない。文化によるサポートがあるからこそ、特定の領域における子どもの知識は明白になっていく。さらに、このサポートが崩壊し、子どもの理解ひいては大人の理解さえも損なわれてしまう状況にも留意する必要がある。また一方で、私たちが必要としているのは、もっと一般的にどのような知識を子どもが理解できるのかに示唆を与える、いろいろな文化におけるいろいろな子ども集団に関する知識である。こうした研究成果から、他文化においては子どもの知識の限界を指摘するようにみえる否定的な結果があっても、偽陰性だとわかる場合のあることが示されている。たとえば、会話のなかで質問を理解する経験の不足や、初期の学習機会が制限されていたためであることもあろう。他方で、文化的サポートがほとんどない、あるいはまったくなかったならば、子どもの理解は覚束ないだろう。このような場合には、子どもと大人の相違は小さいように思われる。各章の最後では逸話を紹介するが、そこでは日常的知識における文化的文脈の重要性について説明しようと思う。
アメリカ、オーストラリア、イギリス、その他の地で私の仕事を支援し、刺激を与えてくださった方々に感謝したい。マーク・ブレイド、ピーター・カルザース、ディック・アイザー、ティム・ジャーマン、エルランド・ヘルムクイスト、パオラ・イアンネッロ、スティーブン・ローレンス、アントネラ・マルケッティ、アユミ・マツオ、リズ・ミルン、ピーター・ニューカム、ギャビン・ノービス、ジョージア・パナジオアッキ、クレア・ポンド、アニカ・ダルグレン・サンドバーグ、ヴァージニア・スローター、スティーヴ・スティッチ、ティロン・ウォルフ、アミール・アミン・ヤスディ、とりわけしばしば共著者になってくれているキャンディダ・ピーターソン、ルカ・スリアン、ローズマリー・ヴァリー。草稿の段階で助言していただいたオックスフォード大学出版部のマーティン・バウムにも感謝したい。私がテッサロニキにあるシェフィールド大学シティ・カレッジの心理学コース長としてギリシアに滞在していた間、アンゲロス・ロダフィノスとそのスタッフの方々に親切にしていただいた。私を快くイタリアに迎えてくださったシルビア・バリビエーリ、ニコラ・ブルーノ、ウォルター・ゲルビーノ、リカルド・ルチーノ、キアラ・パッソルンギ、カルロ・セメンツァ、マリア・タランディーニにも感謝したい。また、トリエステの大学院セミナーに出席したブルーノ・ビアンキ、ラドスベータ・ディミトロワ、コリーナ・ミシュラン、トマゾ・ペッキア、サンドラ・ペリゾーニ、ローラ・イオッチ、アリス・ゲルツィル、デニス・ラゼム、エレーナ・サリーリャスにも感謝したい。本書に述べる私の研究の多くは、ナフィールド・ファウンデーション、レヴェンヘルム・トラスト、欧州連合(EU)マリー・キュリー研究補助金、ベンフィカ・キャスリーン・フォアマン・カサーリ財団のご支援をいただいた。シェフィールド大学ハン・セン認知研究センター後援のワークショップ、とりわけ「AHRC文化と知性プロジェクト」での議論から恩恵を受けた。
私の母ソニアは、本書の初稿が完成したあとで亡くなった。本書を彼女の思い出に捧げたい。