目次
序文
図工以外全滅人生
文◎平野勝之
第一章
1982-1995
平野勝之、自作を語る82-95
インタビュー、文◎柳下毅一郎
平野勝之をめぐって
ぴあフィルムフェスティバル85-87 一般公募部門入選作品審査講評
文◎ほしのあきら、かわなかのぶひろ、大島渚
ポストダイレクトシネマの旗手、平野勝之
文◎山崎幹夫
最も遠くまで行ったAV監督・平野勝之
文◎東良美季
第二章
1995-2012
平野勝之、自作を語る95-12
インタビュー、文◎柳下毅一郎
平野勝之をめぐって
元妻 ハニー、かく語りき
文◎平野ハニー
座談会◎流れ者図鑑を語る
出席者●庵野秀明/高橋源一郎/松尾スズキ/カンパニー松尾/林由美香/平野勝之
美女座談会◎平野勝之とは何者か?
美女●林由美香/小室友里/香山リカ/勝見真知子
映画評のようなもの
文◎花房観音
すばらしかったが、俺は早く家に帰りたかった
文◎松尾スズキ
すべての男は“監督失格”である
文◎斎藤環
カメラが持つ非人間的な過酷さと寛容さ
文◎北小路隆志
座談会◎愛情が、虚構と現実の境界に墜ちる
出席者●井口昇/高槻彰/安岡卓治
おわりに
ゲバルト平野
文◎柳下毅一郎
平野勝之AV監督日記
平野勝之フィルモグラフィー1982-2012
前書きなど
序文
図工以外全滅人生
文◎平野勝之
18才の時、初めて映画を作ってから約30年。
こうして改めてながめてみると、ずいぶんたくさん作ってきた。
一生懸命作ったのに忘れちゃってるのもいっぱいある。
小さいころから僕は絵やマンガを描くのだけが得意で、他には何ひとつ術を知らず、何をやらせてもダメな人間で、唯一、ほめられるのが絵やマンガだけだったから、自分は当然、そういった事でメシを食って、お金をかせいで、平和に暮らしていくものだと思っていた。
18才からカメラを持って「絵」から「映像」に変わっていったものの、考え方は何も変わってはいない。
つまり、子供のころから「そういう人間」になってしまっていた。
だから、親とか友人とか知人とか、それしかできない僕を見るに見かねて「それではダメだ」「作るのが得意なのはいい、でも勉強は? 勉強をやってから好きなことをやりなさい」そう言われ続けている。
今なら、「評価はすばらしい、最高だ、でも仕事は? 生活は?」「生活とかしっかりさせてから、そういう事をやりなさい」
思えば恐ろしい話である。
マトモな事ができないから、こういう作品群になってしまうのに、言葉が通じない。一生懸命話すのだけど、理解されない。
生きていく術が見つからない。
いくら口をすっぱくして怒られて、心配されて、悪口を言われても、ほとんど泣くことしかできないし、「ダメ人間」は治らない。
僕はツッぱってるわけでも、ふてくされてるわけでも、反逆するパンクな精神があるわけでもない。
いつも怒られながら神妙に聞いている。
できる事なら努力して普通の「できる人間」になりたいと思う事は本当に多い。
でも、昔、パン屋のバイトを半日でやめた事があり、その時、「無理だ」と思った。
自分は「病気」じゃないか?と思う時もしょっちゅうだ。
なぜこんな話をしているかというと、今現在、僕にはどこにも行き場がないからだ。
大好きな自転車や旅の仕事でどうにかつないではいるものの、そろそろ東京での現状維持は限界をむかえつつある。
自分で映像制作の環境を作っていかなければならないんだろうけど、それができないから新しい映画の発想も何も出てこない。
花を咲かせたいけど、水が無い。
水が無ければ枯れるだけだ。
そんなわけでサヨウナラ。
サヨナラだけが人生だとは尊敬する川島雄三監督が好んで使った言葉だが、まったくもって今、その言葉をかみしめつつある。
甘えてる、とか何とか思う人もいるだろうけど、そんなセリフの出る人は、小学校の全科目、図工以外全滅という経験を味わった事がない人だろう。
何だか、せっかく僕の本が出るというのに、ネガティブな事ばっかじゃないか。
こりゃいかん。
思えば、AV時代(90年代)はしあわせだった。別に僕だけに限らず、みんなパンク精神とか何とか、そういうものの意識はうすかったんじゃないか?と思う。
だって、みんなとりあえず食えるから、とか流されてきた人たちばかりだったし、たかがAVって思ってたから、ゆるかった。
今はそういう意識はあまり許されないのかもしれないけど、いいかげんだからこそ、豊かになれる事もある。
僕も、食えるし、映像で遊べるし(やりすぎたけど)、思う存分、考えることができた。もちろん、いいかげんな世界だったから、手を抜こうと思えば、限りなく手を抜く事ができる世界だったし、それが許される部分も大いにあった。逆もまたしかり。
いいかげんだからこそ、中身を真剣に作る事も可能だったのだ。
そんな中、僕は「もったいない」と思っていた。
まるで、シェフが、面白い食材がいっぱい手に入って、いろいろ自由に料理ができる状況にいるのに、それをただ単に手を抜いてインスタントに仕立ててしまうのは、シェフ魂というか、シェフの業というか、そういうのを見逃す事ができなかった。
そもそも最初に語ったように、そういう事しかできない人間なので、そういう場を与えられたら、それはそれは夢中になって作ってしまうのだ。
そういう事が両立して可能だったのが、AV時代だった。
お客さんは、今までの自主映画の客とちがって、目に見えない、平野のひの字も知らない一般人だ。その一般人をいかに巻き込むか? アノ手コノ手で必死でいろいろな方法でモニターをはさんで目に見えないお客さんと真剣勝負していた。それが僕のAV時代だった。
その最終結論的作品が『監督失格』という映画となった。
僕はパンクとも芸術家とも思ってはいない。
実は「作家」という意識も無い。
何度も言うように、それしか生きてく術がないから、しかたなく作っているのだ。
「しかたなく」なんていうと、少しニュアンスがちがうかもしれないけど、それしかできないから、しかたがないのである。
他にできる事があるのなら、とっくにそっちに行っている。
とにかく、好ききらいをこえたレベルのものを作っていかないと、自分の存在証明にかかわる問題なのだ。
他に何もできないから、そこに賭けるしか方法はない。
いいものを作らないと誰にも相手にされない。ほとんど生きるか死ぬかだ。
芸術とか作家とか言ってる場合じゃないのである。レベルの高いものさえ作っていれば、道は開けると、今でも信じている。
だから、僕の望みは、自分の作った映像作品なり、写真なり、文章なりが、普通にお客さんに喜んでもらって、普通にいっぱいお金をもらう事ができて、普通に平和にくらしていければ、それでいいのである。
思えば当り前の事を考えているだけだ。