紹介
何が人に、「見える」という経験を確信させるのか。
その経験の明証性はどこからくるのか……。
2015年12月、
獨協大学で開催された国際フォーラムから本書は生まれた。
人間にとって「視覚」とは何か、
視覚は人間に何をもたらしたのか、
新たな視覚技術との関わりを通じて見えてくる
新たな問題とは何か。
「見える」経験の自明性への問いを、
本書では文化的かつ歴史的側面からアプローチする。
本来ひとつの空間では多様な見え方があるはずだが、
ひとつの文化的時空間においては、特定の見方が
他の見え方を上回ることで本質的に選び出され、
自然な経験として成立している。
「視覚の専制」という視覚文化論を中心的な課題と
しつつ、それがいかにして確立され、
その後どのようなゆらぎをはらんできたのか…
視覚が全てを差し置く状況を批判的に検討する。
視覚文化論という新たな領域が見出すのは、
近代的世界観を規定した力への批判的視座である。
絵画や建築といった旧来の視覚芸術から、
映画やインターネットのような現代の視覚媒体にいたる、
「見ること」の文化を、視覚文化論という研究領域の
対象とする本書は、フォーラムに招聘された
この分野の研究者が発表したものを再録し、
視覚文化研究のさまざまな可能性について、
西洋と東洋の文化圏を横断しつつ、
視覚に関する考察を深め、「見える」という経験を
可能とさせる文化的な諸力が交差する美術、写真、文学、
映像技術、インターネットなどに内在する視覚の歴史と
そのあり方を批判的に検討するものである。
目次
第1章
キース・モクシー(コロンビア大学)「唯物論的時間」
第2章
アンヌ=マリー・ボネ(ボン大学)
「デューラーの版画と素描における
ヴィジュアルとマテリアル」
第3章
ロール・シュワルツ=アレナレス(上智大学)
「日本仏画を記述する・比較する・展示する
―ルーヴル美術館極東美術コレクション
初代学芸員ガストン・ミジョン(1864-1930)の視線」
第4章
松本健太郎(二松學舎大学)
「連鎖するディスプレイを通過する二重の身体
――藤木淳の《ゲームキョウカイ》を考察の起点として」
第5章
山口誠(獨協大学)「鏡の無い部屋
――新しいメディアの体験について」
第6章
田中正樹(二松學舎大学)
「宋代山水表現に於ける視覚と聴覚」
第7章
小林賴子(目白大学)
「土地に刻まれた物語(history)
――17世紀オランダ風景画に見えるもの」
第8章
青山愛香(獨協大学)
「デューラーの視覚 ― 《黙示録》木版画連作に
おける風景表現の革新性」
第9章
工藤達也(獨協大学)「ヴァルター・ベンヤミン
とドイツ語圏の美術史家たち」
第10章
阿部明日香(獨協大学)
「茶の間のルノワール」
第11章
福田美雪(獨協大学)「小説家の暗室:
写真を撮るエミール・ゾラ」
第12章
柿田秀樹(獨協大学)
「トロンプルイユの視覚レトリック
――サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの
遠近法箱とアナモルフォーズの科学」
第13章
片山亜紀(獨協大学)
「ウルフはなぜその写真にこだわるのか」
第14章
若森栄樹(獨協大学)
「『見える』を問いなおす―レンブラントの三つの体験」