目次
まえがき 幸福輝
デューラー《岐路に立つヘラクレス》──版画が運んだイメージの記憶 新藤淳
ゼーバルト・ベーハムの《若返りの泉》──大型木版画を読み解く愉しみ 保井亜弓
ビュランによる色彩表現──リューカス・ファン・レイデン《マグダラのマリアの踊り》 青野純子
ラファエッロの版画戦略と版画家の創意──アンニーバレ・カラッチ《岐路に立つヘラクレス》との関係をめぐって 渡辺晋輔
パルミジャニーノの《キリストの埋葬》──マニエリストの二つのヴィジョン 足達薫
ピーテル・ブリューゲル〈大風景画〉連作──《ティヴォリの風景》をめぐって 廣川暁生
ジャック・カロとフィレンツェ──《大狩猟》をめぐる一考察 小針由紀隆
見知らぬ土地へ──レンブラントの《エジプト逃避(セーヘルス改版)》をめぐって 幸福輝
註
あとがき 幸福輝
前書きなど
イメージの歴史において、写真の発明は大きな転換点だった。第一に、写真の登場により、それ以前は絵画制作の主要な部分を占めていた肖像画や風景画が衰退を余儀なくされていった。しかし、写真が肖像画や風景画を駆逐したのは表面上の変化にすぎない。イメージの記録、集積、伝播を全面的に刷新することになった写真の登場は、イメージをより身近なものとし、また、それを人間の管理化に置くことを可能にした、あるいはそのような錯覚を人間に与えた。おそらく、写真がもたらした最大の革新性はそこにこそあったのだろう。だからこそ、写真のもつ速写性と再現力は視覚そのもののあり方に根本的な変革をもたらし、この新しい知覚は二〇世紀美術の深層に深く根を下ろしたのである。 コンピューターによるデジタル世界もまた、写真に次ぐ、あるいはそれ以上の革命的事象と言えるのかもしれない。瞬時に画像をとりこみ、遠くの受け手にそれを送付するという行為は、今日では誰もが日常的に経験していることだが、その意味やそれが知覚へ与える影響については、まだ未知の部分が多い。 あまりにも当然のことになってしまったため、今では想像することもできないくらいだが、かつてヴィジュアル・コミュニケーションは人間にとって非常に困難な技術のひとつだった。写真が生まれるまえの時代、運河に囲まれたヴェネツィアの景観やローマの古代遺跡の魅力をアルプス以北の人々に伝えるのは至難の技だったし、北ヨーロッパの寒々しい空に聳える聖堂や荒涼たるアルプスの山岳景観は、イタリア人たちの想像を超えたものであった。 そのような時代にあって、イメージの伝播に寄与したのは、言うまでもなく版画である。 版画は、原版(ヨーロッパの版画の多くは銅の板を原版とする銅版画なので、それは銅板原版である)を支持体(布地や動物の皮が使われることもあるが、ほとんどの場合、それは紙である)に転写することによって成立する芸術である。原版から同一のイメージを複数生みだすことを可能にする版画は、印刷術と並び、コミュニケ-ションの歴史に大きな足跡を残した。