目次
編者まえがき[姜信子]
第Ⅰ部 なぜ日本語で書くのか――日本語の呪縛から文学の〈普遍性〉を求めて
言語と自由――日本語で書くということ(一九七〇年)
「なぜ日本語で書くか」について(一九七一年)
金史良について――ことばの側面から(一九七二年)
「在日朝鮮人文学」の確立は可能か(一九七二年)
ことば、普遍への架橋をするもの(一九七二年)
○『鴉の死』が世に出るまで(一九七四年)
○『1945年夏』の周辺(一九七四年)
○ある原稿のこと(一九七四年)
○「懐しさ」を拒否するもの(一九七六年)
第Ⅱ部 なぜ「済州島」を書くのか――虚無と歴史を超える想像力の文学
私にとっての虚構(一九七三年)
わが虚構を支えるもの――なぜ「済州島」を書くか(一九七四年)
在日朝鮮人文学(一九七六年)
ことばの自立(一九七七年)
○「どん底」(一九八四年)
○田村さんのこと(一九八八年)
○弔辞――李良枝へ(一九九二年)
第Ⅲ部 『火山島』をめぐって――二十余年にわたる創作の軌跡
あとがき(『火山島Ⅲ』)(一九八三年)
長生きせねば……(一九八五年)
あとがき(『火山島Ⅶ』)(一九九七年)
『火山島』を完結して(一九九七年)
韓国語版『火山島』の出版に寄せて(二〇一五年)
岩波オンデマンド版へのあとがき(二〇一五年)
○この一年(一九八四年)
○「鴉の死」と『火山島』(一九八五年)
○禁書・『火山島』(一九八八年)
○禁書、その後(一九八八年)
○『火山島』の読者たち(一九九八年)
第Ⅳ部 世界文学への途――金石範文学が拓いた地平
文化はいかに国境を越えるか(一九九八年)
文学的想像力と普遍性(二〇〇七年)
『火山島』と私――普遍性へと至る道(二〇一七年)
○玄基榮について(一九八四年)
○『順伊おばさん』訳者あとがき(二〇〇一年)
○主人公の性格創造と超越性(二〇〇一年)
○『椿の海の記』の巫女性と普遍性(二〇〇四年)
○「朝鮮がテーマだからフヘン性がない」(二〇一六年)
○金時鐘の文体のことなど(二〇一八年)
資料1 京都大学文学部卒業論文「芸術とイデオロギー」(一九五一年)
資料2 「批判精神」(一九六三年)
解説 金石範のモナドロジー――『火山島』を軸に〈世界文学〉の視点から[細見和之]
本巻解題[趙秀一]
前書きなど
編者まえがき
本書『金石範評論集』(全二巻)の企画が動きだしておよそ二年、ようやく世に送り出すことができました。この間、作家金石範がライフワークとして見つめつづけ、書きつづけてきた〈朝鮮〉は、作家自身もまた身震いするような大きな変化のなかにあります。
そもそも本書の企画は一橋大学韓国学センターにおいて最初に発案されたものなのですが、それはちょうど、ろうそく革命を経て韓国に文在寅政権が誕生した直後のことでした。それから間もなく編集会議が始まり、金石範氏も交えて一橋大学の李妍淑先生の研究室で行われた何回目かの打ち合わせのときには、私たちは板門店で行われた南北会談のこと、金正恩と文在寅が三十八度線上で対面し、互いに三十八度線を越え合ったあの瞬間のことを、深い感動をもって語り合ったものでした。
韓国の国民でもなく、北朝鮮の国民でもない、どこの国家の民でもない無国籍の朝鮮人として日本で生きることを選択して、(植民地支配からの解放もつかの間、あの解放空間の混乱に乗じて、朝鮮半島を引き裂いて誕生した植民地主義/帝国主義の継子のような国家の不義を問いつづけて)、小説という虚構のなかに、作家は失われた〈朝鮮〉という夢を追求しつづけてきた。その〈夢〉が、ついに現実となる日が近い将来やってくるかもしれない。そんなほのかな明日の光とともに、虚構こそが真実なのである、という逆説をひしひしと感じる編集の日々でありました。
現実の歴史が不義と歪曲と虚偽と隠蔽にまみれているとき、その偽史に対峙し、偽史を越えて新たな現実を切り拓く力としての〈文学〉がある。日本という地域性、日本語という呪縛を超えた文学の〈普遍〉の力。それを、いま、ひとりの在日朝鮮人作家の半世紀以上にもわたるあまりに孤独な文学的営為の結実として見いだす僥倖。これは本書の企画・編集にたずさわる者たちすべてが共有する喜びです。
作家金石範の孤独な文学的営為を支えてきたのは、作家自身の文学に対する厳しい批判精神でありましょう。作家は、小説のみならず、大変な熱量をそそいで、そのときどきの時代状況の中で数々の評論を世に問うてきた、その点と点をいまこうしてつなげてみれば、金石範文学の大きな揺るぎない流れが滔々と眼前に姿を現わします。
それは〈朝鮮〉の現在・過去・未来を語りながら、同時に〈日本〉の現在・過去・未来をも問い、さらには朝鮮も日本も超えたこの世界そのもの、人間そのものへの深い問いを宿した文学の雄渾な流れとして、いまここにあります。
しかも、本書には、作家がまだ作家になる以前の原風景がくっきりと刻み込まれている。これまで存在は知られていましたが、公表されることのなかった二つの貴重な資料が金石範氏より提供されたのです。一つは、「ソウルの友からの手紙」(第二巻所収)。朝鮮半島の南北分断前後の状況下で、正統性なき権力と闘って死んでいった友からの二十二通の手紙です。そして、もう一つは京都大学文学部哲学科に卒業論文として提出された「芸術とイデオロギー」(第一巻所収)。イデオロギーを超え、時代性を超えた普遍なるものとしての芸術が、未来の作家・青年金石範によって論じられています。
本書は作家の過去の文章の単なる集大成などではなく、いまなお絶えることなく生成し、明日に向かって滔々と流れつづける文学の意志の一つの形です。
この流れを次代に引き継ぐこと、そして偽史とともにある世界に抗すること。
私たちの編集方針を一言でまとめるならば、このようなことになりましょうか。
(…後略…)