目次
謝辞
第1章 インドは待っている
待つこととインドのミドルクラス
まともな職に就けない高学歴青年
高学歴失業青年のポリティクスをめぐる理論
調査の概要
本書の構成
第2章 「フィールド」を耕す――農村中間層の台頭と適応
UP州北西部におけるジャート勢力の台頭――1850年~1990年
揺らぐジャートの権力基盤――経済改革と下位カーストの台頭
脅威への対応1――ローカル・ポリティクスへの投資の強化
脅威への対応2――ジャート富農層の多角化戦略
小括
第3章 タイムパス――人生の交差点
終わりのみえないタイムパス
無職というタイムパス――人生の交差点で立ち往生
自己肯定文化としてのタイムパス
小括
第4章 学生の集合的異議申し立て
政治活動家
政治活動家の四つの類型
学生たちの活動は集合的か
学生たちの異議申し立ては有効か
小括
第5章 将来をジュガールする――即興のポリティクス
ギリーシュ――あるジャート学生のポリティクス
スレーシュ――ダリトの抵抗
コラプションを正当化する
ジュガール
小括
第6章 結論
ミドルクラス論再考
「フィールド」の再考――ミクロ・ポリティクスをめぐって
「待つこと」とは─創造と悪事
訳者による解説コラム――本書を読むてがかりとして
1.メーラトの政治的空間
2.インドにおける学歴競争と階層的教育構造
訳者あとがき
参考文献
著者・訳者紹介
前書きなど
第1章 インドは待っている
(…前略…)
本書の構成
本書では、ミドルクラス、ミクロ・ポリティクス、そして、待つという行為を検討するために、富農たちと失業中の若者たちの戦略に着目する。中心的な目的は、ミドルクラスの人々が自らの権力をどのようにして再生産しているのか、を再考することである。本書では、下層ミドルクラスのジャートの人々が二つの戦略を使って階級のアドバンテージを維持しようとしていたことを論じる。第一の戦略は、文化資本と社会的ネットワーク形成への投資であった。グローバル化時代の非先進国におけるミドルクラスを対象にしたこれまでの諸研究は、ミドルクラスは「グローバルな」また「西洋的な」シンボルとネットワークに熱狂していることを強調してきた[e.g. Cohen 2004; Fernandes 2006]。ところが、1990年代から2000年代初めにかけてのジャートの人々のネットワーク形成や文化資本の蓄積において顕著にみられた傾向は、彼らがローカルな権力の維持に専心していることであった。たとえば、ジャート富農の場合は村内外の相対的に良い教育機会を独占するというかたちで、また学生の政治活動家の場合はメーラト市のキャンパス政治を支配するというかたちで、である。と同時に、ジャートの人々は「地方的なるもの」を、UP州北西部における彼らの都市‐農村間実践を介して拡張し、農村、都市のオフィス、学校、大学といった場をきつく編まれた織物のなかにまとめあげていた。
(…中略…)
第2章では、UP州北西部におけるジャートの権力の伸長について述べる。(……)第2章では、1990年代なかばにメーラト県農村部で実施したフィールドワークの成果にもとづいて、ジャートの人々がこれらの脅威にどう対応しようとしていたのかを検討する。(……)
(……)
第3章から第5章では、メーラト市で2004年から2005年にかけて実施した調査結果を参照し、高学歴失業男性の文化的政治的戦略について検討する。第3章においては、職にありつけない学生たちの間で醸成されていた、リンボにおかれている感覚について述べる。多くの若者たちは、安定した職に就けるその時を待ち続けていた。彼らは退屈し、時間と空間をめぐる方向感覚を失っていた。実際に、彼らの多くは、日々、交差点やチャイ屋で時間をやり過ごしていると語っていたものである。「目的もなく」待つ若者たちの姿は、一見、彼らの親たちによる「目的を持った」戦略としての待つという行為とは大きく違うように思える。しかし、メーラト市の若者たちのありようは、必ずしも無益なものではなかった。タイムパスは若者たちに学歴、そしてローカルな政治や非正規の経済活動についての知識を付与する機会を提供していたからである。(……)
(……)
第5章では、先に触れた階級やカーストを越えた若者たちの連帯がどのようにして、階級やカーストの不平等によって引き裂かれたのかについて、ジャート出身の政治活動のリーダー、あるいは「フィクサー」と呼ばれていた者の行動を参照しながら論じる。(……)
結論では、インドのミドルクラス、ミクロ・ポリティクス、そして待つことをめぐる私の考察の妥当性について整理をする。ジャート富農と高学歴失業青年の階級権力の再生産戦略に着目し、ローカルでかつあくまでも国家に依存した手段を通じて階級権力が再生産されることを強調する本書の研究は、インドほかのポストコロニアル社会のミドルクラスを対象にした、先行する諸研究の成果を補完する別の見方を提供してくれる。また、私のエスノグラフィックな研究は、界を参照することによってインドの日常生活におけるポリティクスを再考させることになるだろう。さらに、本書では、一般的な理解とはやや異なるかたちの文化的政治的実践の土台としての、待つという若者たちの行為に光をあてる。