目次
はじめに
Ⅰ タイ国史の見方
第1章 「タイ史」とは?――広義のタイ(Tai)人と狭義のタイ(Thai)人
第2章 王朝史の遺産――今日の「三都」史観
第3章 シャム史の成立――ダムロン親王による正史編纂事業
第4章 タイ戦後政治経済史――民主主義への歩み
Ⅱ 政治と法
第5章 タイの政治風土――「自由」の希求と都市と農村の亀裂
第6章 君主制と政治――「国王を元首とする民主主義体制」の成立と動揺
【コラム1】プーミポン国王の地方行幸
第7章 中央集権と地方分権――噴出する矛盾
第8章 度重なる憲法改正――政治化する司法と憲法
第9章 変わりゆくクーデタ――楽勝から苦戦へ
第10章 外交と国家安全保障――国益と移動民の管理
Ⅲ タイ経済の構造
第11章 戦後タイ経済の変遷――国際環境の変化に柔軟に対応し、中所得国へ
第12章 財閥とファミリービジネス――「事業多角化」から「選択と集中」へ
第13章 地方の産業とテクノロジー――機械工業における独自の技術発展と職人集団
【コラム2】OTOP
第14章 モザイク市場――多様化する流通
第15章 インフォーマルセクター――タックシン政権期を経て経済課題から政治課題に
第16章 交通網の発達――自動車依存社会の出現
Ⅳ 諸産業
第17章 屋台骨としての農業――しぶとく発展し続けるタイ農業
第18章 森林資源と国有林地管理――保護への傾斜と林業制度の失敗、「農地」化の過去
第19章 漁民の世界――エビ養殖とイカかご漁の風景から
第20章 観光立国としてのタイ――「微笑みの国」の発展と変容
【コラム3】エコツーリズム
第21章 性産業の広がり――「微笑みの国」の裏側
Ⅴ 教育
第22章 タイの教育制度――現代教育改革の動向と課題
第23章 学校教育とボーイスカウト活動――選択特別活動から必修科目へ
第24章 タイの政教関係――学校で学ぶ公的な宗教
第25章 変わりゆく大学――大衆化、法人化、国際化
【コラム4】ラップ・ノーン
Ⅵ 宗教と信仰
第26章 規範としての上座仏教――近代に構築された宗教
【コラム5】女性の出家
【コラム6】プラ・クルアン
第27章 仏教僧・寺院の社会的役割――寺は地域・社会に開かれている
第28章 脱地縁社会とタイ上座仏教――タンマガーイ寺とサンティ・アソーク
第29章 バラモン=ヒンドゥー的要素――タイ社会に息づくインド神話の神々
【コラム7】サーン・プラ・プーム
第30章 精霊信仰とシャーマニズム――不可解な現実を生きるために
【コラム8】モー・ムアン
第31章 ムスリムの信仰生活――よりよい現世と来世を目指して
第32章 クリスチャンの信仰世界――山地民の例から
第33章 華僑華人の宗教――タイ社会でのニッチを求めて
Ⅶ タイ語
第34章 タイ語のなりたち――手こずる発音、初心者にやさしい文法
第35章 王語、僧語――使えないと大恥をかく職業も
第36章 現代タイ語事情――生きている言葉
【コラム9】《キック》
Ⅷ エスニック・タイ
第37章 タイ系諸民族――その歴史と現在
第38章 タイの華人社会――中国人ではなく、タイ華人として生きる
第39章 マレー系ムスリム――「仏教国」の周縁に生きるマイノリティ
第40章 タイ山地民の現在――先住民としての自己定義
【コラム10】ムラブリ
第41章 海民――アンダマン海に押し寄せる〈波〉
第42章 難民――人の移動をめぐるポリティクス
Ⅸ タイ社会の諸断面
第43章 現代タイ社会論――グローバル化のなかでのタイ社会の変容
第44章 タイの家族――変わりゆくかたち、つながる人々
第45章 タイの高床式住宅――その空間構成と現代の変容
第46章 ジェンダーとセクシュアリティ――カトゥーイを通じたタイ社会の理解に向けて
第47章 少子高齢化と老親扶養問題――新たなるタイ社会の課題
第48章 タイ市民運動の現在――過去半世紀を振り返って
第49章 タイのICT事情――ASEAN統合をにらんだ再編成の動き
【コラム11】Facebook中毒
Ⅹ タイ・イメージの輪郭
第50章 タイの食文化――辛さのなかに浮かびあがるタイ民族の歴史と心
第51章 ムエタイの現在――スポーツと賭博のはざまで
第52章 古式マッサージ――創造・刷新される身体技法
【コラム12】タイ伝統の健康体操「ルーシー・ダットン」
第53章 古典文学、近代文学――宮廷文学から民衆の文学へ
第54章 タイ現代文学と知的空間の変転――「生きるため」から「創造」へ
第55章 近現代タイ美術――自分探しの終焉
第56章 越境するタイ映画――新興工業国としての自信とナショナリズム表象
【コラム13】イサーン発の仏霊喜劇『ブンミおじさんの森』の魅力
第57章 タイの芸能――しゃべり芸あり、芝居あり
【コラム14】モーラム
XI タイの都市
第58章 バンコク――拡大を続ける「天使の都」
第59章 チェンマイ――変化を見つめる多文化都市
第60章 コーンケーン――戦後タイ経済を支えた東北部の第二の開発モデル都市
第61章 ハジャイ――さまざまな顔を持つ南部最大の都市
【コラム15】タクバイ事件のその後
XII 現代タイ点描
第62章 タックシン・チンナワット――稀代の政治家の分かれる評価
【コラム16】「タークシン大王復活」のうわさに潜むタイの政治文化
第63章 赤シャツ/黄シャツ――2色に分断されたタイ国民、終わりなき政治対立
第64章 2011年の大洪水が語るもの――中部タイ平原の洪水制御と伝統的な水陸両用インフラ
第65章 プラ・ウィハーン――プレア・ヴィヒア遺跡問題
第66章 麻薬禍――見えない出口
XIII 日タイを架橋するもの
第67章 山田長政は日本人ではない?――王国を支えた「日本人」
第68章 日本企業のタイ進出――労働集約的製品加工地から高付加価値製品集積地へ
【コラム17】日本食――ブームから定着へ
第69章 泰日工業大学――日タイ交流の傑作
第70章 日本へのタイ人留学生――異文化交流の懸け橋
第71章 ロングステイ――課題と期待
第72章 日本のタイ寺院――在日タイ人のコミュニティ
タイを知るためのブックガイド
前書きなど
はじめに
(…前略…)
両国の関係深化に伴う、日本の消費文化や食文化のタイにおける隆盛にも著しいものがある。漫画・アニメは言うまでもないが、近年とくに目立つのが、氾濫と称してもよいほどの日本食の浸透ぶりである。大規模なショッピングモールに行けば必ずと言ってよいほど日本食レストランが複数出店しているし、まさかこんなところにと思えるような田舎町の飲食店でも普通に寿司が出てくる。極彩色の軍艦巻を勧められて戸惑ったことのある日本人も少なくないだろう。
一方、2015年に控えているASEANの新たな統合が日本にもたらす影響も看過できない。EUとほぼ同様の面積(448万平方キロメートル)と人口(約6億人)を持つASEANは、世界の新たな消費市場として一躍脚光を浴びている。現時点では、GDPもEUの八分の一程度に過ぎないが、経済成長率ではEUを遙かに上回っており、その潜在的伸び代に期待が集まる。こうしたなか、縁が深いタイが、新体制下のASEANで主導的な役割を果たすようになることは、日本にとっても歓迎すべき話である。実際にタイは、ASEANの新たな盟主としての地位を視野に入れたさまざまな政策を展開させてきたが、一連の政変が、国家としてのイメージに大きな瑕疵を与えた。タイ・リスクなどという言葉が巷で囁かれているようでは、盟主の地位は遠のいてしまう。
その意味で、タイの民主主義が今後どこに向かうのかも注目される。国民の合意形成システムがうまく機能しない限り、政治的安定など望むべくもないからである。草の根レベルの人々がほぼ自由に政治的な主張を行なえるという意味では、タイの民主主義も相応の成熟を迎えていると評価できるかもしれない。しかし他方で、民主的手続きを無視したクーデタに快哉を叫ぶ人が少なくない状況を民主主義と呼ぶことにも違和感を覚える。クーデタが民意を反映していれば、それもまた民主主義ということなのか。民主主義のかたちは一つではないと言われればそれまでだが、腐臭の源から目を背け、武力を背景とした度重なる政治のリセットを肯定し続けている限り、明るい展望はない。
若干否定的な論調から入ったが、本書の執筆に加わっていただいたのは、皆タイという国を心から愛してやまない方々ばかりである。タイ人の洗練されたホスピタリティには誰もが敬意を表しているし、彼らの卓越したコミュニケーション能力、そして、その延長線上にある巧みな外交手腕が瞠目すべきものであることも知っている。我々は皆、タイの独特の成り立ちや深い奥行きを持った文化に魅了されており、おそらくはこの国に生涯にわたって関わり続けていく。しかし、だからこそ現状を本気で憂えてもいる。単なる学術的な関心を超え、タイの行く末が気になって仕方がない。
この愛と憂慮がない交ぜになったような感情は、各々の章やコラムにもそのまま反映されている。通読すれば、タイがいかに多くの魅力に満ち溢れ、また、それと同じだけ多くの問題を抱えている国であるかが如実に伝わるはずである。当初、前版と同じ60章での構成を試みたが、現在のタイを描き出すのに、いかんせん60章は少なすぎた。熟慮の結果、総計56人もの執筆者で72の章と17のコラムを書きあげる運びとなった。タイの内実と「今」を活写したものに仕上がったと自負している。
(…後略…)