目次
本書のねらい
序 「公人(パブリック・マン)と「スプリッティング(本能切断)」
第1章 アメリカ的「公人」の腐敗――生いけにえ贄装置となった大統領
第2章 リンカーンの民主主義観――「私は奴隷になりたくない。だから奴隷の主人にもなりたくない」
【コラム1】古代アテナイのエウテュナ(執務記録審査)
第3章 アメリカ大統領選――国民の総合的スプリッティングの集約
I 大統領選の仕組みとその文化的意味合い
第4章 民主党とは? 共和党とは?――保守政党と革新政党の奇妙な逆転現象
【コラム2】アメリカ、「赤地域」と「青地域」に分裂
第5章 選挙人という不合理な制度――2000年大統領選のフロリダ開票騒動
第6章 選挙人はどのように選ばれ、投票するのか――大統領は「各州民」が選ぶ
第7章 不合理への対処法――フロリダ投票騒動以前に起こった3度の危機
【コラム3】副大統領ラプソディ(1)「JFKとLBJ」
第8章 「統治」に対する安全装置――「人間が天使であれば、政府など要らない」
第9章 富裕層と民衆――「建国の父たち」が抱いた疑念
第10章 「ミスター・プレジデント」――大統領と民衆にはめられた箍
第11章 アイオワ・コーカス――全米予備選挙に先駆けて開かれる党員集会
第12章 民主党アイオワ・コーカスの現場――支持者集めに呼び込み屋台と化す候補者ブース
【コラム4】オバマは若い運動員、ヒラリーは初老の運動員
第13章 代議員割当――「リベラル」な民主党、「弱肉強食」の共和党
第14章 代議員制度――選挙人制度より複雑で階級制もある
第15章 スーパー・テューズデイ――多くの州・自治領で同じ日に予備選が行われる理由
II 暴れ象 vs とんまドンキー(1)「南部戦略」
第16章 「とんま象」から「暴れ象」へ――アメリカ史を貫く暗黒の断層
【ニクスン vs ケネディ――1960年大統領選】
第17章 ずる狐ディック――シェイクスピア的「悪王」候補ニクスンの悲劇
【コラム5】副大統領ラプソディ(2)「ニック vs ディック」
【コラム6】ゲームにまでなったニクスン vs ケネディの競り合い
第18章 盗まれた大統領選――半分以上の州で勝ちながら敗退した米史上初の候補
第19章 早すぎた敗北宣言――ケネディ家の闘争本能と財力にひるむ
第20章 大統領とエロス――普通の政治的エロスが身につかなかったニクスン
第21章 票の数え直し――目くそ鼻くその不正選挙
第22章 ニクスン敗北の理由――「共和党にはジョンスンとデイリーがいなかっただけ」
【ニクスン復活――共和党戦略の礎を築く】
第23章 ジョンスンの不出馬宣言――残った強敵は第三政党のジョージ・ワラス
第24章 ワラスの選挙戦脱落――「南部戦略」最大のネックを排除
第25章 「南部戦略」図に当たる――ニクスン大勝を呼び込んだ名軍師ビュキャナン
【コラム7】「鼠さえとれば、白猫も黒猫も関係なし」
【コラム8】「政治的KY人間」マッガヴァン
第26章 ニクスン共和党の支持層――「新左翼」と「サイレント・マジョリティ」が分けた明暗
第27章 「衆愚政治」と「暴民政治」――「腐敗した民主主義」を操る共和党
III 暴れ象 vs とんまドンキー(2)「レーガノミクス」
【レーガン vs カーター――1980年大統領選】
第28章 1度だけのテレビ討論――「象」に押し切られた「ドンキー」
第29章 最後の止めが甘いカーター――「喧嘩強い共和党、生ぬるい民主党」の予兆
第30章 レーガンが渡した引導――「4年前より暮らしは楽になっただろうか?」
【レーガンの経済政策】
第31章 「レーガノミクス」の4大原則――ニューディール体制の破壊をめざす
第32章 税収は増えたのか?――連戦連敗のサプライサイド経済理論
第33章 ヴードゥー経済学――国と国民にお呪まじないをかけ続ける「レーガノミクス」
第34章 「ぼろ神輿」を担ぎ続ける理由――共和党右派の隠された戦略
IV 暴れ象 vs 反撃ドンキー「右翼の大いなる陰謀」
第35章 道義心を捨てた富裕層――グローバリズムが生んだレーガノミクスという鬼子
第36章 レーガノミクスの「暗号」――経済学で偽装した新手の人種差別
【コラム9】児童扶養世帯補助(AFDC)
第37章 犬笛を吹くディクシー(南部諸州)――隠微ゆえに威力が倍加した差別語
第38章 ブッシュ父の豪腕選対――私生活まで「犬笛」風のリー・アトウォーター
第39章 アトウォーターの手口―― デュカーキスを破ったネガティヴ・キャンペイン
第40章 クリントンを大統領にした男――「怒れるケイジャン」が吹き鳴らした「反撃の犬笛」
第41章 カーヴィルの「念仏」――墓下のアトウォーターに無念の寝返りを打たせる
第42章 ヒラリーの反撃――ファーストレディは「政治的水面下闘争」をどう戦ったか
第43章 敵の「駒」を反撃の妙手に使う――ヒラリーの鮮烈な逆手作戦
第44章 対ギングリッチ戦略――ヒラリー、「議事堂の魔王」に打ち勝つ
V 十字架上のドンキーたちとパンドラ
第45章 「ナショナル」と「フェデラル」――ガッチリと噛み合わない観音開きの扉
第46章 ニクスンの弾劾――「元祖暴れ象」大統領を辞任に追い込む
第47章 クリントンの弾劾――支持率は70%に急上昇
第48章 オバマの磔刑―― 国家債務の上限引き上げ阻止
第49章 オバマ再選が意味するもの――黒人大統領誕生の歴史的意義を確かな遺産とするには
第50章 迷妄から覚めないアメリカ人――レーガノミクスの呪縛からいつ解放されるのか
第51章 世代差から見えてくるアメリカ人――4世代を通じた人気大統領はクリントンとレーガン
【コラム10】歴代大統領の実績順位瞥見
VI 2012年大統領選の歴史的意味合い
第52章 2012年アメリカの悲劇の原点――「りっぱな南部人」の今日版と「スコウプス裁判」
第53章 脱落するギングリッチ――共和党に使い捨てられた「ゲイム・オヴ・チキン」の猛者
第54章 共和党再生の手段――自党の過激化こそ政党再生のショック療法に
第55章 興味深い「人間標本」――共和党大統領選候補ギングリッチとロン・ポール
第56章 なぜオバマ側はロムニーが苦手なのか?――唯一の攻めどころは「生地」が出せないぎこちなさ
第57章 「イエス・ウイ・キャン」と「キャン=ドゥ・スピリット」の違い――オバマ vs ロムニーとなったら
終章 「おお、キャプテン、マイ・キャプテン」――アメリカの患部切除の外科医と内科医
前書きなど
本書のねらい
アメリカの大統領選は、「4年ごとの王選び」だ。王は終身職で、選挙で選ばれるのではなく、血筋がものを言う。アメリカ大統領は血筋などまるで無関係で、しかも1951年以降は2期8年でクビになる仕組みになった(むろん、5年目以降は再選されないとダメ)。フランクリン・D・ローズヴェルト(在職1933~45年)だけが、第二次大戦を指揮した「戦時大統領」だったために、3期12年務めたあげく、第4期にまで再選されたが、「いくらなんでも長い」というわけで2期8年となった(1951年2月27日制定の憲法修正第22条)。
本書の第一のねらいは、以下の主題である。おびただしいアメリカ人が、「4年ごとの王選び」に、それを「祝祭」として参加し、各自の祝祭への参加がとりもなおさず「アメリカン・デモクラシー」の骨格を支えてきたと信じている――その「集合意識」のダイナミズムを取り出すことである。つまり、民衆文化としての大統領選だ。本書が、『大統領選からアメリカを知るための57章』と銘打つ所以である。
大統領選は、一般投票で当落が決まるのではなく、得票数に応じて各州に割り振られた、予備選では「代議員」、本選挙では「選挙人」、の獲得票数で決まる。これは、日本人はおろかアメリカ人にもよくわからない仕組みだ。しかし、これがアメリカン・デモクラシーを機能させる、ややぎこちない支えになっているのである。そのからくりとからくりの文化的意味合いをわかっていただくことが、本書の第二のねらいである(第I部)。
ただし、そのからくりよりも、大統領選の息吹にじかに触れたい方は、いきなり第II部のニクスン vs ケネディの戦い(1960年)から読み始めていただきたい。
本書の第三のねらいは、大統領選をレンズにして今日のアメリカの最大の「国家的病巣」を抉り出すことにある。主に共和党右派とその支持層にとりついたこの病巣こそ、政治的良質性ではリンカーンに迫るオバマが「なぜかくも悪戦苦闘を強いられているのか?」を理解させてくれる。
(…中略…)
本書では、大統領選で最もハラハラドキドキして、ゲームにまでなった1960年の選挙をまるごと紹介する。これにはまたしてもニクスンが絡んだが、この当時の彼はケネディに対してなぜか劣等感を抱いており、のちの悪辣さはふしぎに影を潜めていた。年下なのに、ケネディはそれだけの輝きとしたたかさを併せ持っていた(キューバ・ミサイル危機を裁いたこの若き大統領の手腕は、映画『13デイズ』〈2000〉に詳しい)。しかし、両者の得票差は11万2827(投票総数の0.16%)で、史上最小差の大接戦だった(第18章)。これ以後の大統領選は、右記の「病巣」を浮かび上がらせるべく、ひとまとめに要約する。
なお本書では、場合によって、共和党を「共」、民主党を「民」と略記する。
繰り返すが、本書のねらいは、大統領選を通してアメリカ史を貫く暗黒と光芒が織りなす文目を覗き見ていただく点にある。今日の統計予測では、2020年までに30歳以下のアメリカ人は有色人種が多数派となり、2040年までにはアメリカ全体で有色人種がマジョリティに転じる。このため、年配のアメリカ白人、とくに白人男性は意気阻喪している。これが共和党の悪辣さを許容する下地だ(この白人たちはオバマが憎いのだが、同時に無力感を抱いてだだをこねてもいるのである。オバマいびりで溜飲を下げているのだ。哀れではないか)。これが「暗黒」である。ところが、30歳以下の若い白人は、アメリカの有色人種化に幻滅していない。なぜか?
1980年代以降生まれの彼らは、50年代に起きた公民権運動、次いで80年代に起きた「多元文化主義(マルタイカルチュラリズム)」のおかげで多民族的環境に慣れてきたからである。この世代こそ、嬉々としてオバマを史上初の黒人・白人混血大統領に選んだ。彼らは「2000年紀最終世代(ミレニアルズ)」と呼ばれる。たぶん、多くの読者諸君は、「日本のミレニアルズ」だと思う(日本の未来は、いやすでにして日本の現在は、諸君の双肩にかかっている)。クリントン夫妻の一人娘チェルシーは、ミレニアルズの先頭世代だ。これがアメリカの希望と「光芒」を担う若い世代である。「待て、而しかして希望せよ」(アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』)。