目次
まえがき(山下祐介)
第1章 東日本大震災と原発避難――避難からセカンドタウン、そして地域再生へ(山下祐介)
1 原発事故と避難問題
2 多様化する避難
3 時間が経過する中で
4 再生と復興への道―地域再生基金とセカンドタウンを軸に
5 福島第一原発事故の収束が目指すもの―次の大災害への事前復興として
第2章 ある聞き書きから――原発から追われた町、富岡の記録(山下祐介・吉田耕平・原田峻)
1 富岡から川内へ――3月11日~3月16日(緊急期1)
2 大規模避難所、ビッグパレットふくしまでの苦悩――3月17日~4月21日(緊急期2)、4月22日~8月末まで(避難所生活期)
3 長期化する避難の中の課題――避難長期化期へ
4 希望はどこに?――原地帰還とセカンドタウン
第3章 全村避難をめぐって――飯舘村の苦悩と選択(佐藤彰彦)
はじめに
1 飯舘村の概況と村づくりの経緯
2 村にとっての東日本大震災と原発事故
3 避難の過程で変容する村民の不安・悩み・憤り
4 計画的避難――その前後をとおして見えるもの
おわりに
第4章 原発避難と家族――移動・再会・離散の背景と経験(吉田耕平)
はじめに
1 原発避難における家族
2 「なーんにもやれね。畑も田んぼも、だめだ」――赤井さんの家族・親族
3 「しかたなく」、「われわれはてんでんこなのさ」――柿崎さんの家族・親族
4 「帰りたい」「帰れない」「私たちはここに住む」――斉藤さんの家族・親族
5 家族における原発避難
第5章 大規模避難所の役割――ビッグパレットふくしまにおける支援体制の構築(須永将史)
はじめに
1 郡山市民の被災と支援――緊急放送/傾聴ボランティア/物資支援
2 社協職員――避難者/支援者
3 県外からの支援者――中越防災安全機構
4 ビッグパレットふくしま以外の郡山市内避難所
5 女性専用スペースの成立
おわりに
第6章 首都圏への遠方集団避難とその後――さいたまスーパーアリーナにおける避難者/支援者(原田峻)
はじめに
1 避難所としてのさいたまスーパーアリーナの特異性
2 さいたまスーパーアリーナにおける避難者の特徴
3 さいたまスーパーアリーナにおける支援の特徴とその課題
4 避難者/支援者たちのその後
おわりに
第7章 「ホットスポット」問題が生んだ地域再生運動――首都圏・柏から岡山まで(宝田惇史)
はじめに
1 私と3・11――発災直後の行動と心境
2 首都圏の「ホットスポット」問題
3 柏市における「ホットスポット」問題への取り組み
4 「おいでんせぇ岡山」について
5 シェアハウス「やすらぎの泉」が生んだ新たな絆
6 リスクをいかに認識するか
7 自主避難者を取り巻く今後の課題
おわりに――新しい価値観の創造へ
第8章 いわき市における避難と受け入れの交錯――「オール浜通り」を目指して(高木竜輔)
はじめに――原発災害から半年後のいわき市
1 原発避難地域の半年――その概要の紹介
2 住民移動に追われる行政――楢葉町
3 「まだスタートラインにも立っていない」――広野町
4 受け入れ自治体の苦悩――いわき市
6 浜通りの復興を目指して
第9章 「難民」として原発避難を考える(開沼博)
「難民」の時代に
1 今、原発避難を問うことの意味
2 直後の周辺自治体
3 集団ではない避難
4 避難しない論理
5 多様性への意識
あとがき(開沼博)
概説 原発周辺自治体の避難の経緯(吉田耕平・原田峻)
前書きなど
あとがき(開沼博)
改めて指摘するまでもなく、震災は私たちに新たな課題を突きつけ、様々な決断を迫っている。国や巨大企業への絶対的な信頼のもとになされてきたエネルギー確保の手段の再考はもちろん、人類がはじめて経験する規模での除染や補償については容易に方針を示せるものではなく、また、いかなる決断をしようとも、誰もが納得する形にもっていくことは困難なこととなるだろう。
本書を通してなされたのは、避難というテーマを通して「どこまでつきつめても解が存在しない課題」に対していかなる解がありえるのか、その模索という偶然の社会現象を追いかける試みだったと言えるのかもしれない。
今回の避難は、警戒区域や計画的避難区域における避難の強制はあったものの、いつ、いかに、誰と、どこに動くのか、という点では個人の決断に任された部分が大きかった。
避難する個人は、それを受け入れる行政やNPO等が示すオプションに少なからず依存しつつ、どこかで不信や不満も感じる。逆に行政やNPO等の側もそのような個人に対していかに可能な限りの支援をし、一方で、ある面で社会秩序を守るためにいかに統制すべきかをも模索する。このある種のダブルコンテンジェンシー状態、つまり、それまでは長い期間をかけて成立してきた信頼が失われた中で、両者がそれぞれの行動を読みあいながらも読みきれない結果、様々な葛藤が生まれ、深まっていく状況はある面では私たちが現代社会で乗り越えるべきながら乗り越えられない問題に広く通じるものと言えるのかもしれない。そこにおいて、本書がなしてきた、そこにいた当事者たちの言葉と動きにひたすら依る中で見出されるその実像は、解としては未熟かもしれないが、間違いなくそこにつながっていく道の同一線上にあるものに違いない。
ここ1年のジャーナリズム・アカデミズム問わず流通する言説を見ると、避難の問題が放射線との関係の中でのみ扱われがちだ。「線量が高いから避難しなければならない」「いや、この線量なら除染をすれば住み続けても問題ない」「いや、そんなことはない」……と言ったように。そして、それは時に、ある種の合理的な論争を超えて、宗教的な対立と言ってもいいような分断、つまり、互いに(「どこまでつきつめても解が存在しない課題」にもかかわらず)「危ない/危なくない」という答えを設定し、そこに向かう中で互いを理解できないと蔑み、そんなおかしなことを考えているのかと罵倒するような状況すら生んでいる。
しかし、観察者の側においてはそのような「放射線が高い/高くない」という「科学のリスク・要因」の二値コードに回収されがちな問題が、当事者の側にたってみればあくまでその二値コードはいくつかある二値コードのうちの一つに過ぎないことがわかる。つまり「仕事・学校がある/ない」「事態が落ち着くまでは行政の近くにいたい/そうでもない」「馴染みがあるところの近くで生活したい/そうでもない」「年齢的に移動しやすい/しにくい」「その場が気に入った/気に入らない」などといった様々な「生活のリスク・要因」の二値コードとも重層的に重なる中での課題設定がなされているということだ。それは、筆者が『「フクシマ」論』において、震災前の福島の原発立地地域の状況を分析する中で行った、その地にとっての原発という存在が、「原発を推進する/反対する」という外から見ていたときに当てはめられがちな二値コードではなく、むしろ「原発を通して郷土の発展を進める/進めない」という二値コードのもとで捉えられ、結果として極めて安定的に原発が受け入れられた、という考察、つまり、外部者と当事者との間に存在する溝とそこで生じ維持される問題のあり様にも通底するものだと言えるだろう。当事者にとって、その課題がいかに見えているのか。そこを弁えることなく誤った前提の中で外部者が安易でパターナリスティックな解を出して、それを当事者に押し付けることは問題を温存するどころかむしろ悪化させすらする。そこに転がる重層性を丁寧に掬い取ることから逃げずに今後の避難、あるいは原発事故や震災全体への対応がこれからも模索される必要がある。
震災から1年で、避難について一まとまりの考察を出すことは、未だその状況が動き続ける中でいかなる意義があるのかという疑問があるかもしれない。あるいは、ここまで9章かけて様々な角度からなされてきた考察だけでは足りない、モレやダブりがあるという批判もあるのかもしれない。しかし、事態が動く中で、極めて早期から現場と直接関わった者たちが自らの視界に映る社会から編み出した問題意識やその分析には、極めて様々な状況にある避難のそれぞれに、あるいは今後の長期にわたるであろう避難の展開に敷衍可能な視点が描かれているはずだ。そして、ここで描かれたことは、災害復興、被災者支援ということは勿論、地方自治や地域づくり、家族、市民運動、国家像といったここまで具体的に触れられてきた様々な新たな価値観を創るきっかけともなっていくものだ。
この『「原発避難」論』が、今も避難を続ける方々と共に「解」に向かい歩んでいくことを望む。