目次
はじめに
第一部 欧米社会科学の限界
第一章 古典的社会科学における貪欲の是認ないし放置
第一節 西欧社会科学における貪欲の不問の起源
第二節 マルクスにおける歴史主義的退行
第三節 自文化中心主義者としてのヴェーバー
要約と結論
第二章 欧米社会学における貪欲の無視
第一節 社会学の祖としてのコント
第二節 デュルケームの社会優越論
第三節 ジンメルにおける形式的人間肯定論
第四節 フランクフルト学派の批判的理論
第五節 機能主義社会学と構造主義
第六節 微視的社会学
第七節 その他の一般理論を指向する社会学
要約と結論
第三章 欲望を対象とする精神分析学と自己実現理論
第一節 フロイトの精神分析学
第二節 マズローの自己実現理論
第三節 産業労働分野における自己実現理論
第四節 政治学および社会心理学分野における自己実現理論
要約と結論
第二部 東アジアにおける社会思想の限界
第一章 中国における非仏教的社会思想
第一節 伝統的諸思想
第二節 近代および現代の思想状況
要約と結論
第二章 日本文化論の同一性への収縮
第一節 日本文化論と柳田民俗学
第二節 前期柳田における異界と漂泊者
第三節 後期柳田における一国民俗学の確立
第四節 異界の残存としての女性讃歌
第五節 柳田の変質の理由
第六節 同一化的方法への矮小化
第七節 同一性への収縮
要約と結論
第三部 仏教思想の可能性
第一章 インドと周辺地域における仏教思想
第一節 インドと周辺地域の仏教の時期区分
第二節 原始仏教の教説
第三節 大乗菩薩道の思想的展開
第四節 大乗仏教における空の思想
第五節 その他の大乗仏教
第六節 密教の形成
要約と結論
第二章 中国仏教の脱社会化と空思想の放棄
第一節 中国仏教の時期区分
第二節 弥勒信仰と浄土教
第三節 天台教学における本覚思想
第四節 禅宗
第五節 華厳宗と密教
要約と結論
第三章 中国仏教の民間信仰化
第一節 諸仏・諸菩薩の起源
第二節 釈迦・弥勒から阿弥陀・観世音へ
第三節 四大霊山の成立
要約と結論
第四章 日本仏教の権力への屈従
第一節 日本仏教の皇道仏教化
第二節 仏教導入期における仏法と王法
第三節 鎌倉仏教における権力との距離
第四節 浄土真宗による権力の受容
第五節 法華・日連系の新宗教
要約と結論
第五章 テーラワーダ仏教圏における仏教的社会運動
第一節 はじめに
第二節 スリランカのダルマパーラとアーリヤラトナ
第三節 インドのアンベードカル
第四節 タイのプッタタート比丘
第五節 「ここ」と「いま」に立脚する原始仏典の再解釈
要約と結論
終章
おわりに
索引
前書きなど
はじめに
グローバル化とともに、貪欲が大手をふって地球社会を跋扈している。二一世紀初頭のリーマン・ショックに起因する世界同時不況は、そもそもはもっと儲けたいという金銭欲を原因として生じ、それによる不動産市場の崩壊が瞬時に地球社会全体に波及したのである。それにたいして市場原理主義を批判しながら別の経済システムを構想しようとしても、金銭欲を放置しているかぎり、つねに経済秩序の混乱が起こることは自明である。それなのに、金銭欲そのものにどう対処すべきかという議論はまったくというほど聞こえない。
グローバル化はまた「暴力の連鎖」をうみだした。9・11事件はニューヨークの世界貿易センタービルに突入した航空機をはじめとする同時多発テロであったが、地球社会全体に広がる暴力の連鎖を象徴的に示した。イラクで、アフガニスタンで、パレスチナで、さらにアフリカ各地で、権力欲による人間どうしの大量殺戮がつづいている。そしてここでも、アメリカの一国覇権主義による干渉や国連の平和維持活動などの対症療法は講じられてはいるが、問題の根源にある権力欲の統御についての議論はほとんどない。
さらに、グローバル化が人類につきつけている第三の難問として、地球環境問題がある。地球温暖化問題は、物欲の充足のために化石燃料を無尽蔵に使用している人間自身により引き起こされたものである。ここでも、二酸化炭素の排出を減少させようとする技術的対応についての提議はあるが、物欲そのものの統御の必要性にまで及ぶ議論はなきに等しい。
本書を執筆した目的は、金銭欲、権力欲、物欲などとしてあらわれる人間の貪欲がもつ重要性がどうして無視あるいは放置されてきたかということをあきらかにしたうえで、貪欲の統御のための道筋を、仏教にもとづいて構想しようとするところにある。
そのために、本書は、第三部第一章で述べられる「苦」、「集」、「滅」、「道」からなる四聖諦としてのさとりへのプロセスを意識的に採用している。ここで苦諦とは、上述した世界的経済不況や暴力の連鎖や地球環境問題などのグローバル化にともなう地球社会的問題を意味し、集諦とはこれら地球社会的問題には貪欲の放置という根本的な原因が存在するということを意味し、滅諦とは貪欲の統御が地球社会的問題の解決を導くということを意味し、道諦とは貪欲の統御のための具体的構想の提示を意味する。
本書は三部からなる。第一部では、欧米の社会科学がなぜ貪欲を肯定したり無視したりしたかということを学説史的に検討する。第二部では、中国と日本の非仏教的社会思想がなぜ同じように貪欲の肯定や無視に陥ったかを思想史的に解明する。そして第三部では、インドとその周辺地域、中国、日本、テーラワーダ仏教圏における仏教思想の展開を整理するなかで、仏教にもとづく貪欲の統御の可能性を考察する。