目次
まえがき
第1章 脳科学と学習・教育の未来
1.はじめに
2.自然科学と人文・社会科学の架橋・融合
3.環境と脳の相互作用
4.非侵襲高次脳機能描画
5.「脳科学と教育」プログラムの経緯
6.世界の潮流
7.新たな展開
(1)最新の知見
(2)技術開発の最先端
8.神経神話
9.未来への展望
第2章 ヒト行為の学習と記憶の脳科学
1.はじめに
2.学習の科学の問題
3.「行為の学習・記憶」とヒト高次認知機能
(1)記憶の中枢「海馬」とヒト高次認知の密接な関係
4.構成的知能の脳認知科学モデル
5.教育への構成的知能の適用
(1)ヒト知能表現形成の豊かさと柔軟性
(2)ヒト知能の二重の拡張——特に社会的拡張!
(3)個人的にわかるから、社会的な知識の共有へ!
(4)知能・知識の社会的共有性と抽象化・精緻化
(5)ダイナミックな知能の共創の場としてのクラス
(6)学びのダイナミックス——生徒の知識の構成を支援する教育
6.おわりに
第3章 学習困難児の学習支援と脳機能
1.学習困難をともなう子どもの現状
(1)読み書きの困難
(2)読み書きの困難さと脳機能
(3)学習困難児の学習支援方法
2.学習支援の実施と脳機能の変化
(1)学習困難児の認知機能の評価
(2)学習支援課題への取り組み
(3)NIRSを用いた脳機能の評価
(4)学習支援の効果
3.今後の展望
第4章 子どもたちの学習意欲と夜型生活
1.子どもたちの疲労
2.子どもたちの生活事情と脳
3.子どもたちの生活時計と脳機能
(1)ECOLOG、アクチグラムを用いた日常生活における活動・休養リズム解析
(2)ヒトにおける行動日内リズム解析
(3)体内時計遺伝子解析
(4)休養・活動を支える生体時計関連遺伝子の解析
(5)意欲に関わるドーパミントランスポーター遺伝子解析
(6)事象関連電位、画像解析を用いた認知・学習に関する脳機能解析
4.事象関連電位を用いた認知機能に関する研究
(1)P300
(2)P100、N150およびP200成分の解析
5.本研究およびこれまでの研究で得た結論
6.子どもたちの意欲を育む生活への提言
第5章 認知症高齢者の脳機能改善と学習療法
1.はじめに
2.学習アプリケーションの開発
(1)認知症高齢者に対する生活介入(学習療法)教材の開発
(2)認知症高齢者に適した読み書き計算教材を用いた学習方法の検討
3.学習療法の効果の検証
(1)認知機能の変化
(2)前頭前野活動の変化
4.コミュニケーションの影響の検討
5.おわりに
第6章 外国語学習と「臨界期」
1.はじめに
2.聴覚野とその臨界期の検討
(1)聴覚システム
(2)幼若ラット——周波数局在マップ形成に対する聴覚刺激の影響
(3)成体ラット
(4)成体サル
(5)動物実験のまとめ
3.動物実験からヒトへ
(1)対応付けへの留意点
(2)統計学習
(3)社会相互作用
(4)音素の聞き分け
(5)音声聴覚フィードバック
(6)まとめ
4.現段階での英語教育への提言
(1)統計学習
(2)社会相互作用・動機付け
(3)豊かな環境
5.音声の聞き取りに関する今後の課題
6.おわりに
第7章 顔認知のメカニズムと学習効果
1.はじめに
2.各検査手法の長所と短所
3.成人における顔認知
(1)静止した顔の認知
(2)「顔の部分の動き」の認知
(3)倒立顔認知
(4)subliminal刺激による顔認知
4.小児における顔認知
5.赤ちゃんにおける顔認知
6.おわりに
第8章 母と子のコミュニケーションと情動
1.妊婦の情動が胎児の行動に及ぼす影響
2.母親と子の情動表出と情動認知の客観的評価法の開発
(1)乳幼児の表情を指標にした情動表出の評価法の開発
(2)乳幼児の泣き声を指標にした情動表出の評価法の開発
3.脳活動計測による情動認知の評価法の開発
4.母子間で情動伝達手段となる感覚情報の探索
(1)嗅覚
(2)視覚
(3)聴覚——マザリーズの子に及ぼす影響と音響学的特徴解析
5.おわりに
第9章 脳機能からみたコミュニケーション能力の発達
1.背景
(1)目的
(2)コミュニケーションと異種感覚統合への3つのアプローチ
2.正常成人における異種感覚統合に関与する神経活動
(1)対面コミュニケーションにおける視覚入力の役割
(2)対面コミュニケーションにおける視覚聴覚入力の統合
(3)視覚・触覚統合の神経回路
3.発達期における感覚脱失による可塑的変化
(1)聴覚障害
(2)視覚障害
4.学習に伴う異種感覚統合
(1)視聴覚
5.発達期脳の直接観察
6.今後の展開
第10章 分子基盤からみた学習機構の生後発達
1.記憶の分類と責任脳部位
2.陳述記憶と海馬
3.海馬におけるシナプス可塑性と高次脳機能
(1)長期増強(LTP:long-term potentiation)
(2)LTP誘導の受容体機構
(3)LTPと記憶の関連性
4.LTPと記憶の年齢依存性
(1)H−Ras欠損マウス
(2)アポE4ノックインマウス
(3)Z型蛋白脱リン酸化酵素欠損マウス
(4)プレキシンA2欠損マウス
5.おわりに
第11章 発達障害と遺伝子・環境
1.はじめに
2.自閉性障害とは
3.自閉症は遺伝的要因が大きい
4.自閉症は環境要因、または遺伝子外要因も大きい
5.自閉症の原因遺伝子とは
(1)Rett症候群:遺伝子の転写を制御する遺伝子の異常
(2)脆弱X症候群が示す分子機構
(3)Neuroligin
(4)CADM
(5)CNTAP
(6)Copy number variation(CNV)
6.シナプスの機能異常が自閉症の基本病態
7.言語障害の原因遺伝子
8.自閉症が男性に多く発症する理由
9.ストレスと発達障害の関係
10.おわりに
第12章 神経回路の発達からみた育児と教育の臨界齢
1.はじめに
2.記憶と学習に関与する神経系
(1)陳述記憶と内在性記憶の神経機構
(2)手続き学習の神経機構
(3)作業記憶(working memory)の神経機構
3.神経系の発達——胎生期の脳の発達と生後の脳の発達
4.アミン系神経系の異常に起因する発達性神経・精神疾患とその病態
5.発達性神経・精神疾患からみる記憶・学習機構の発達
6.おわりに
あとがき
前書きなど
第1章 脳科学と学習・教育の未来
1.はじめに
「脳科学と教育」(Brain-Science & Education)と名づけられた新たな概念を基調として、学習と教育の研究が広範に推進されてきた。「学習」を「環境(自己を取り巻く全て)からの刺激によって神経回路が構築される過程」、そして「教育」を「神経回路を構築するために必要な刺激を制御・補完する過程」と、生物学的な視座から捉える。
この「学習」の概念は、受動的学習と積極的学習の双方を含んでいる。誕生後まもなく、環境からの刺激で知覚系を環境に適合させて構築して行くのは受動的学習である。一方、動機をもった積極学習も、動物進化の初期から始まっている。「快・不快」を生存確率の高い方向を選択する羅針盤として積極的な学習は進められてきたが、人間でその学習動機はさらに発展し、精神的な報酬予測まで含むものとなった。
さらに「教育」について見れば、それ自体が人間特有の行動である。現世人類に最も近い種であるチンパンジーにも、積極的な教育は未だに観察されていない。鳴禽類(songbirds)は歌を子どもに教えるが、これはごく一部の例外であろう。哲学者カント(Immanuel Kant, 1724〜1804)が、『教育学ノート』で指摘したように、およそ教育は人間に特有なものである。カントは、里子実験(カナリアに育てさせることによってスズメが囀ることを発見)によって、鳴禽類に教育の原型が存在することを見出した。
「脳科学と教育」分野は、近年急速に発展した非侵襲高次脳機能計測法による発達認知神経科学的な知見や行動発達学的な蓄積を活用して、人間にとってより望ましい学習や教育・保育のあり方、そして社会が用意すべき生育環境や、新たなカリキュラムを探るものである。また、従来は人文・社会科学の分野にあった教育を、自然科学と架橋・融合させた新たな試みでもある。
プラトン(Platon, BC428〜BC348)の大著『国家』を見ると、内容の大半は教育論で占められている。教育にこそ国や組織の存亡がかかっていることは、多くの歴史的な事実がそれを証明してきた。とりわけ子どもたちの心身の健やかな成長は大切である。いずれは次の世代に、その国や世界の未来を託すことになるからだ。
しかし、子どもたちを取り巻く環境は、近年、大きく変化しつつある。日本を含めた先進国では、情報化・効率化・個人化、そして少子高齢化という傾向が、顕著となった。今まで人類が経験したことのない状況のもとで、子どもたちが育くまれている現実がある。また、一方で、少子高齢化が世界で最も深刻な日本では、子どもたちの健やかな発達と同時に、高齢者が健やかに加齢を重ねることも重要である。これらの問題へ大きく貢献できる「脳科学と教育」分野に期待が高まっている。
最近、教育問題や子どもにかかわる社会問題が深刻化しているのも、子どもたちや親を取り巻く環境が激変していることにも原因があると考えられる。脳科学の視点から、実証的な根拠に基づいた(evidence-based)支援や対策、そして方向付けが求められつつある。
今まで、育児や教育はさまざまな経験に基づいた議論がなされてきた。また、理念についても教育学・哲学・心理学など、主として文科系の学問に基づいて方向付けがなされてきた。しかし、子どもを取り巻く環境が急変している中では、議論も循環・振り子型のものに陥り易く、また、方針も揺らぎがちとなる。このような状況にあるときこそ、自然科学を取り込んだ実証基調の教育論・実践論が必要である。
(…後略…)