目次
まえがき(村田晃嗣)
序章 「アメリカの使命」意識の源流(森孝一)
I 保守主義の実像
第1章 変貌をとげる福音派——政治と信仰の新たな関係(中山俊宏)
第2章 フランシス・フクヤマとネオコン思想の将来——モダニティへの飽くなき執念(会田弘継)
第3章 ユダヤ系新保守主義者とイラク攻撃——ミアシャイマー=ウォルトへの批判(ノーマン・G・フィンケルシュタイン)
II テロと核に揺れるアメリカ外交
第4章 米国の脅威認識——テロリズム観の根源と国際的対策(宮坂直史)
第5章 対中東政策とイスラーム復興主義——冷戦期からポスト9・11期へ(松永泰行)
第6章 ブッシュ・ドクトリンの限界と強靱性——中東の「核」をめぐって(石川卓)
第7章 ブッシュ外交の遺産と課題——イラク・北朝鮮問題を中心に(村田晃嗣)
III グローバル戦略とイスラーム世界
第8章 イラン・イスラーム体制と近代西欧との距離——トマス・アクィナスを事例にして(富田健次)
第9章 アメリカは中東を手なずけられるか——テロとの戦いとシラバス改革(ムハンマド・ワハビ・スレイマン)
第10章 アメリカの対イスラーム戦略の欠陥——イランの視点から(マフムード・ヴァーエズィー/ナーセル・サガフィー・アーメリー)
第11章 イスラーム急進主義の思想と戦略——空想と現実の狭間で揺れるジハード(田原牧)
終章 グローバルな政治における宗教的暴力(マーク・ユルゲンスマイヤー)
CISMOR国際ワークショップ
Part 1 アメリカの中東政策を検証する(フランシス・フクヤマ)
Part 2 ディスカッション(司会:小原克博)
あとがき(森孝一)
事項索引
人名索引
前書きなど
まえがき
(…前略…)
本書はジョージ・W・ブッシュ大統領政権の二期八年における対イスラーム世界外交に対する一つの総括である。ブッシュの政治と外交の遺産を総括するには時期尚早だが、その二期八年の終末は皮肉な様相を呈している。ブッシュは自らの父よりも「第二のロナルド・レーガン」をめざした。レーガンは宗教と経済と外交・安全保障のすべての分野で保守を糾合した、保守派の偶像的存在である。そのレーガンの標語が「強いアメリカ」と「小さな政府」であった。だが今や保守勢力には幾重もの亀裂が走り、安全保障でも経済でも「強いアメリカ」は大幅に後退を余儀なくされ、その上、未曾有の金融危機を前に「小さな政府」は徒手空拳で、逆に膨大な公的資金が投入されることになった。
これがオバマに代表されるリベラルの勝利と積極的に言えるものなのか、それとも、ブッシュが迎合してきた極端な保守勢力の敗北を消極的に意味するだけなのか、その見極めはまだむずかしい。なにしろ、金融危機がなければ、ブッシュ政権の相次ぐ失策にもかかわらず、あるいはマケインが僅差で当選していたかもしれない。それほど保守勢力の基盤は固い。だが、アメリカが内政と外交の双方で変化しようとしていることは、まちがいない。
その若さと容姿、雄弁から、オバマはしばしばジョン・F・ケネディに比肩される。『ブラック・ケネディ』という書名の本も出版されている。オバマは本当に「第二のケネディ」になれるであろうか。金融危機への対処として、公共事業投資と温暖化防止による産業構造の転換で、オバマは二五〇万人の雇用を創出しようとしている。世界大恐慌の際にフランクリン・D・ローズヴェルト大統領が打ち出した「ニューディール」政策の再来であり、環境政策を取り込んだ「グリーン・ニューディール」である。果たしてオバマは「第二のローズヴェルト」になれるであろうか。あるいは、同じようにイリノイ州からホワイトハウスに赴いたエイブラハム・リンカーンのように、オバマは分裂したアメリカの再統一を実現できるのか。そうなれば、「第二のリンカーン」である。
「第二のケネディ」か「第二のフランクリン・ローズヴェルト」か、それとも、「第二のリンカーン」か。それどころか、時としてオバマにはこのすべてが期待されている。この高い期待はオバマの政治的資産であり、同時に重荷である。一歩誤れば、高すぎる期待は大きな失望に転じる。そうしたリスクを抱えながら、オバマは金融危機というグローバリゼーションの産んだ怪物に対峙し、さらに内政・外交の難題に当たっていかなければならない。外交ではとりわけ、イラク、アフガニスタン、パキスタン、パレスチナ、北朝鮮といった地域への関与が、中国やロシアなど大国との関係と並んで深刻かつ重要である。
対抗勢力に比して国力の優越が明白な時は理想主義に傾き、この差が縮小すると現実主義に立ち戻る傾向が、アメリカ外交にはある。冷戦後の圧倒的な力の優越ゆえに、ブッシュ政権は粗暴な理想主義に走った。だが、その結果として、アメリカの圧倒的な優越は失われつつある。数年前まで「アメリカ一極支配」を批判していた論者たちが、今では「アメリカ時代の終焉」や「無極の時代の到来」を論じている。アメリカの国力を過大評価した人たちが、今度はこれを過小評価しようとしているわけである。時局便乗的なアメリカ没落論は別にしても、アメリカの国力の翳りは否定できないところであり、その意味で、一見理想主義的なオバマ外交も、しばしば現実的たらざるをえなくなるだろう。中東その他の地域で、オバマが理想主義と現実主義をどのように配合するか——それによって、アメリカと中東、さらにヨーロッパやアジア、アフリカとの実際の関係も大きく規定されよう。
本書の基となった研究は、同志社大学21世紀COEプログラム「一神教の学際的研究——文明の共存と安全保障の視点から」である。それは、9・11同時多発テロで顕在化したグローバルかつ文明論的な問題に対処しようとするものであった。本COEプログラムが文部科学省によって採択されたのは、イラク戦争開始四ヶ月後の二〇〇三年七月であった。従って、五年に及ぶ本COEプログラムの研究はブッシュ時代になされたものである。
安全保障専門家と宗教学者、国際政治学者と地域専門家の共同作業は、時として摩擦と誤解を招き、「文明の衝突」さながらであったが、同時に、その中から意義のある「文明の対話」も広がったと信じる。われわれの問題提起や議論が、ブッシュ時代を超えてオバマ時代のアメリカと世界の関係にどのように連動していくのか、大いに注目したいと思う。
さらに、本書には、二〇〇七年秋に同志社大学で開催された一神教学際研究センター主催の国際ワークショップ「イスラームと西洋——アメリカの外交政策を検証する」の成果の一部も盛り込まれている。かつて「ネオコン」の論客として知られた政治学者のフランシス・フクヤマ氏が、アメリカの中東政策について包括的な分析を試み、それを受けて活発な議論が展開された。フクヤマ氏と中東及びEUから出席したイスラーム研究者の間の議論は、文字通り熱のこもったものであった。こうした国際的で白熱した議論こそ、この研究プロジェクトの醍醐味であったと、いささか自負するところである。
(…後略…)