目次
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監修者序言
見出し語一覧(英語)
見出し語一覧(日本語)
項目別ガイド
コラム一覧
執筆者一覧
はじめに
謝辞
編者紹介
利用の手引き
項 目:A—Z
参考資料1 ホームレスの自伝的および小説的作品の文献目録
参考資料2 アメリカのホームレスの劇映画および記録映画の作品目録
参考資料3 ストリートペーパー住所録
参考資料4 ホームレスの文献史
参考資料5 ホームレス関連文献の総合目録
監訳者あとがき
索引
前書きなど
監修者序言
日本社会のかかえる重大な問題としてホームレスがひろく認識されるようになったきっかけのひとつは、1996年の新宿西口広場でのダンボール小屋の強制的な撤去とそこに居住するホームレスの力による排除であったとおもわれる。そののち紆余曲折をへて、2002年に「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定された。しかしながら、この法がきわめて不十分であったことは、2007年に台風9号が襲来したさい、増水のため救助された複数の人びとが多摩川河川敷に居住していたホームレスであったことに劇的にしめされている。
グローバル化とともにもたらされた格差社会化の進展により、ホームレス問題は日本でもこれからますます深刻化していくことになろう。その予兆はすでにネットカフェ難民の激増にあらわれている。この問題にとりくむためには、この現象の実態的および理論的把握と、それにもとづく適切な行動のプログラムが必要とされる。本事典はまさにこの課題にこたえるために編集されたものである。
本事典の日本語版の意義は以下の三点に集約されよう。
第一に、ホームレス問題にかんしては、日本ではすでに多くのすぐれた調査データや研究の蓄積があり、また支援活動や対策事業も積極的にとりくまれている。それにもかかわらず、地球社会を構成する他の諸社会におけるこの問題にかんする情報の日本への導入は、ややもすれば体系性を欠き断片的であったと考えられる。それは、文学関係を別にして、本事典に収録されている主要な参考文献の日本語訳がほとんど皆無であることからもあきらかである。したがって、本事典の日本語版は、この情報の欠落を大きく補完するという役割をはたすことになろう。
第二に、先述した特別措置法においては、ホームレスとは「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場とし、日常生活を営んでいる者をいう」と定義されている。この定義がまったく不十分であることは、ネットカフェ難民を包含できないことにも端的にしめされている。また、この法の目的とする「自立支援」が重要な解決策のひとつであることはいうまでもないが、たとえば自立が困難なホームレスなどについては放置されてしまう。すなわち自立支援以外にも状況におうじてさまざまな解決策が提示される必要があるのである。本事典は、定義および対策について日本の文脈にも適用できる多様な考え方や事例を提供している点で参考とすべきところが多い。
第三に、いわば地球市民的ともいえるグローバルなネットワークがあらゆる領域で存在感をしめしている今日、ホームレス問題への対処についてもグローバルな連携が必要であることはいうまでもない。本事典には、日本以外の支援活動団体や対策事業の主体が詳細に紹介されている。これを活用して国境をこえるネットワーク化をはかれば、日本での問題解決に資することはもちろん、日本の支援活動団体や自治体の参加によりグローバルなネットワークも強化されよう。
以下、本事典の特色として二点ほどあげたい。第一の特色として、文学および映像の重視があげられる。文学については、すでに日本語訳された古典も数多く、また日本で上映された映画もたくさんある。第二の特色としては、イギリスの1601年救貧法と1834年改正救貧法の全文が収録されていることがあげられる。ちなみにいえば、とくに前者の原文は古い文体の英語であり、本事典全体のなかでも日本語訳がもっとも困難であった。
本事典の原典は2004年に刊行されたものであるが、明石書店から日本語訳の監修者にならないかという話がわたしにあったのは、刊行後ほどないころであった。なにしろ大部の事典であるので、実際の翻訳は十数名のチームを編成しておこない、それを専門家のグループにチェックしてもらうことにしたい、ついてはその監訳者グループを組織してもらえないだろうかということだった。
一読して本事典の意義は確信したものの、わたしは研究生活のごく初期に山谷の日雇労働者の社会的移動についての論文を一本発表したことがあるだけで、ホームレスについては調査研究の経験がない。そのため、この分野について多数のすぐれた業績をだされている、ともにふるい研究仲間である田巻松雄氏および青木秀男氏に相談したところ、ご協力いただけるとのことであった。この両氏を中心に監訳者グループが編成されて、はじめての会合をもったのは2005年1月20日であった。それから2年有余が経過したが、この間訳語の統一をはじめとする諸作業のしんどさはなかなかのものであった。(後略)