目次
小原秀雄著作集 まえがき
21世紀の人類——人間〈ホモ・サピエンス〉はどこへ行く
はじめに
第1章 病めるホモ・サピエンス
第2章 人類(ホミニーデ)時代は終わる?
第3章 激変する環境
第4章 性ノイローゼ
第5章 人間よ さようなら
参考文献
あとがき
補遺 人間とは何か——人間学の建設のために
現代ホモ・サピエンスの変貌
はじめに
第1章 人間のありかたの基本構造
第2章 サルの特殊性とヒトの特殊性
第3章 ヒトはどのような種か
第4章 自己家畜化と自己人為淘汰
第5章 道具からの社会・文化論
第6章 人間になる、人間であるということ
第7章 現代の人間のための人間(ヒト)学
第8章 人間(ヒト)の新しい世紀
おわりに
あとがき
主な参考文献
小原秀雄著作集 第4巻 あとがき
前書きなど
小原秀雄著作集 第4巻 あとがき(抜粋)
(…前略…)
霊長類を含む大型哺乳類では、生態と形態とがその生活するいわゆる棲息環境の構造と一体になっているので、人間則ちヒトという哺乳類がその棲息環境である文化を含む社会環境と一体化しているはずである。人文・社会の法則性はヒトと相互関系を成立させている人間のありかたなのだ。この平凡である真理を私が主張するようになったのは一九六〇年頃からである。このことが実は「21世紀の人類」の中心テーマでもあった。社会の変遷に伴うヒトの変化をまとめた最初の著作がこれであった。高度経済成長を表す「三種の神器」が物質文明の隆盛の先駆であった時代である一九六三年の刊行であった。その普及には私のバカらしさが思い出となっている。当時講談社ではこの本が入ったシリーズ、ミリオンブックスを廃そうとしていた。新しいシリーズ、ブルーバックスの中に入れようと提案されたのに対し、滅びゆくシリーズに共感して、その後すぐに絶版になってしまう途を自ら選んだのである。今ここにその本が著作集に含まれることに望外の喜びを持つ理由である。
(…中略…)
「21世紀の人類」で考察した人間観から「現代ホモ・サピエンスの変貌」までに及ぶ論理の上では、次のような過程を考察したのである。この間に私自身は、六六年のアフリカへの旅と日本では故古賀忠道氏が主唱したWWFへ参加して以来、しだいに野生生物界の人間による変化に注意するようになった。第3巻の「生物が一日一種消えて行く」に私自身の経験とこの側面の認識がまとめられている。その際に、動物の生態を野生生物として見る上では、その棲息場所との間に深い構成が働くのを強く認識させられた。環境についてである。
自然環境は棲息場所として野生動物の種のありかたと切り離せない相互関系を持つことが見てとれる。そして同じ動物でも動物園や飼育下、そして家畜化によって生じていく変化が人間のありかたと共通していることを強く意識し、認識を深めていったのである。一九六八年の朝日新聞学芸欄にその趣旨を述べ、人類学上の自己家畜化論が人間化に及ぶと感じている旨を述べたのである。
(…中略…)
動物であって動物でない人間が、どのような変化をとげるのか、その要因を考究していた私は、当時すでに主流的な人類学では忘れられがちであった自己家畜化に着目した。全ての動物がその棲息場所を環境として、その形質に支配的な影響をもたらすのではないか。私は一九七〇年に『科学』誌上で、自己家畜化のしくみが、当時大きな社会的問題である公害をふまえて環境問題を自然科学上論及する根拠になると主張した。同時に建築雑誌『SD』誌上には、よりふみこんだ人間論として「人間とは何か」を執筆した。この論は当時の各界の論客を編集部で選んでもらい、対談を行なう問題提起であった。
七〇年から七三年まで私は論文として当時籍を得た女子栄養大学の紀要に連続して集中的に人間観を述べた。その要旨は、自己家畜化とそれが進化史においてしくみとして働く自己人為淘汰についてである。
女子栄養大学の教授となって、このような所論をアカデミーの世界で述べられたことは(サーキュレーションは劣るとも)後に東京大学教育学部教授となったが、当時大学で席を同じくしていた友人の柴田義松氏に感謝したいと思う。
それ以来私は孤立してはいるものの大学や学会での発言をするようになった。普及者的著作も含みながらではあるが多くの動物学や自然保護研究上の発言をするようになったのである。
私の「自己家畜化」論の主旨は、本著作集の「現代ホモ・サピエンスの変貌」によってもらいたい。人間となったヒトの特殊性は、進化につれて自ら社会的生産を主として作り出された多くの人工物と、人間とから成る社会がしだいに複雑化していく影響「人為淘汰」によって生じた。そして現在の先進国の社会や途上国の都市化などでほとんど全ての棲息場所を人工化してしまうようになる。その結果人間(ヒト)の形質が、このような「モノ」の世界に精神までを含めて支配されるのではないか、と考えるにいたった。人間(ヒト)はこのような文明化の果てにどうなっていくのか。方向転換が可能かも含めて、問い続けている。別の書『人類は絶滅を選択するのか』との問いがこの課題を集中的に論じている。
(…後略…)