目次
はじめに
1 インドの輪郭
第1章 世界が注目するインド経済——中国と並ぶ位置づけ
第2章 騒がしい民主国家——インド民主主義の変容
第3章 歴史と文化のせめぎあい——亀裂をはらむ社会
第4章 「宇宙」を作り出す大地——多様性と秩序
2 民主政治がもたらすもの
第5章 「宿命の対決」を生んだ分離独立——印パと独立の構図
第6章 世界「最大」の憲法をつくり、育むインドの人々——基本的人権の保障
第7章 マハトマ・ガンディーからネルー王朝へ——インド国民会議派
第8章 ヒンドゥーの一翼か議会政党か——インド人民党(BJP)
第9章 力を増してきた州政府——中央・州関係
第10章 宗教・カースト、そして政治——ウッタル・プラデーシュ州のアイデンティティ政治
第11章 地域政党の台頭と苦悩——テルグ・デーサム党
第12章 インド共産党のジレンマ——イデオロギーと政権運営の相克
第13章 分離独立の重みを背負うカシミール——建国の理念をめぐるカシミール紛争
第14章 ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭——民族奉仕団(RSS)の組織と運動
第15章 まだ「春雷」はとどろいている——極左武装闘争グループの活動
第16章 言論の自由をフル活用——インドのメディア
3 インド経済の光と影
第17章 世界に名を馳せるインドの財閥——大胆な海外企業の買収
第18章 日本も注目する株式市場——企業収益による裏付け
第19章 不動産ブームのインド——過去とは違う四つの変化
第20章 驚異の躍進を続けるインドIT産業——グローバリゼーション下で開花した比較優位産業
第21章 ITに続くバイオ・医薬品産業——後発医薬品に比較優位
第22章 激戦が続くインド自動車産業——離陸を始めたインド市場
第23章 どこまであるのか、製造業の競争力——変わりつつあるインドの製造業
第24章 驚きのダイヤモンド加工業——世界のシェア9割を占めるインド
第25章 東を向くインド——急拡大する東アジアとの貿易
第26章 一大エネルギー消費国としてのインド——石油消費を中心に増大の一途
第27章 インフラ整備は民間資本の手で——日本にも期待される役割
第28章 インドの環境問題——深刻な大気汚染と風力発電
第29章 「中間層」はどのくらい大きいか——新たな購買層の出現
第30章 依然として深刻な貧困問題——3人に1人が1日1ドル以下の生活
第31章 本腰を入れた取り組みが期待される農業・農村開発——労働人口の6割を占める農業
第32章 インドのNGOと開発——問われる政府との関係
4 複雑な社会を読み解く
第33章 インドでカーストはどのような意味をもつのか——インド社会とカースト
第34章 留保制度につのる不満——適用範囲の拡大に強い批判
第35章 言語とアイデンティティ——多言語の海
第36章 若者の就職難と「よそ者排斥運動」——対立を生む地元民とよそ者の競合
第37章 伝統と近代の狭間で苦悩する女性たち——現代インドの女性問題
第38章 人口増加率・識字率・男女比の地域差が示すもの——縮まらない地域差
第39章 より遠く、より広く——国内の人口移動
第40章 再解釈される「家族」の規範と機能——家族観の変化
第41章 教育の課題——能力主義か機会均等か
第42章 めくるめくインド映画の世界——経済発展がもたらす変化
5 インドのさまざまな顔
第43章 急激に拡大変化する大都会——デリー
第44章 経済グローバル化の最前線——バンガロール
第45章 労働争議の街から経済成長の街へ——コルカタ
第46章 グローバリゼーションが駆け抜ける伝統・文化の都市——チェンナイ
第47章 巨万の富と貧困層が共存するインドの縮図——ムンバイ
第48章 小麦と米のわきあがる大地——パンジャーブ
第49章 躍進する地方都市——インドール
第50章 高い生活指標と不十分な経済——ケーララ
第51章 経済成長は民族紛争を解決するのか——北東部
第52章 遥かなる「東洋のスイス」——カシミール
6 世界の中のインド
第53章 核兵器保有を誇るインド——インドの核戦略
第54章 大もてのインド——ポスト冷戦期のインド外交
第55章 インドのご機嫌をとるアメリカ——印米関係の新たな展開
第56章 宿敵それとも親戚?——関係改善の兆しをみせる印パ関係
第57章 対決から「理性的なライバル」へ——正常化に向かう中印関係
第58章 隣接国ネパール・バングラデシュ・スリランカとの付き合い方——新しい関係の模索
第59章 海外で活躍するインド人のネットワーク——インド系移民の実態
第60章 出遅れた日本——日印関係の展望
前書きなど
はじめに
インドが急速な変化を遂げつつある。デリーの空港を降り立ったとたんに、インドの人々が発散するエネルギー、そして街中に充満する活力に目がくらむ。日本が長らく忘れていた熱気である。少なくとも都市部を見るかぎり、様相は一変している。一五年前にはインドでの生活や仕事で最もフラストレーションがたまるのは電話であった。つまり、何度かけてもつながらないのである。そのインドで、現在は運転手から工事現場で働く労働者までもが携帯電話を持っている。携帯ショップはいたるところにあり、そのいずれもがわんわんの賑わいである。
この変化の牽引力となったのは、一九九一年にマンモハン・シン蔵相(当時、二〇〇四年より首相)が打ち出した経済開放政策である。競争原理が持ち込まれ、積極的な外資導入も始まった。経済自由化は質の高い労働力を求める。IIT(インド工科大学)やIIM(インド経営大学)といった先端的な高等教育の場には、今では世界のトップ企業がこぞって青田刈りにやってくる。当初、高学歴の人材は国境を越えて欧米社会へと流出することが多かったが、インド経済の成長とともに逆流現象も生まれ、現在では経済活動も人間の移動も国境をやすやすと越えるボーダレスの時代が到来しつつある。
経済面での変化は、冷戦の終焉という国際情勢の変化ともあいまって、インド政治にも大きな影響を及ぼした。国民会議派の一党優位体制が崩れ、多党化が始まったのである。同時にそれは地方の活性化でもあった。地域政党が力をつけ、それが国政をも左右する時代がやってきた。中央の政治は本格的な連合政権の時代に入った。連立のパートナーは地域政党である。インド政治は刻々と変化している。
外交分野での成果も目覚しい。冷戦時代、ソ連寄りの外交をとっていたインドは、冷戦終焉後、とくに一九九〇年代後半以降アメリカとの関係を大幅に改善・強化し、米印原子力合意にこぎつけた。アメリカがインドを事実上の核保有国と認めたうえで、民政の原子力協力を行おうというものである。それまでの対印政策のみならず、核政策の一大転換を示すものである。しかも、協定はかなりインドに有利な形で合意されている。核実験後「模範生」を演じてきたインドは、この協定が最終的に成立すれば、先端技術や核燃料の供給も受けられるようになる。一方、一九六二年の国境戦争以来ゆっくりと正常化の道を歩んできた中国とは、経済関係を中心に大幅な関係改善を進めた。また、独立以来「犬猿の仲」であったパキスタンとも和平プロセスが進行中である。その他、アジアやヨーロッパ諸国との関係も順調である。
以上述べてきた変化はいずれも現代インドの光の部分を構成する要素である。しかし、光が強いだけに影の部分も濃厚である。借金にあえぎながら自殺する農民、根強く残るカースト差別、依然として国民の三分の一が読み書きすらできない現状、汚職が払拭できない官僚機構などである。
本書は、こうした現代のインドの姿をさまざまな角度から紹介しようというものである。したがって、歴史や文化の側面は扱っていない。それらについては、『インドを知るための50章』を参照していただきたい。本書の構成は六部からなっている。第1部は変わりゆくインドの全体像を描き、第2部、3部、4部はそれぞれ政治、経済、社会に焦点をあてて、おもに九〇年代以降どのような変化が起こっているかを述べた。第5部は広大なインドのさまざまな地方や都市を紹介した。そして最終部で世界の中にインドを位置づけ、日本との関係を展望した。本書の編者は四名であるが、全員で本書の構成を話し合い、そのうえで細部に関しては、広瀬が第2部と6部、近藤が3部、井上が4部、そして南埜が5部を担当した。執筆にあたっては、それぞれの分野や地域の専門家をできるかぎり多く動員して、質の高い内容となるべく努力を払ったつもりである。
二〇〇七年八月の安倍首相の訪印は大成功であったとインドでは評価されている。ブッシュ米大統領も胡錦濤中国国家主席もなしえなかった国会演説は、立ち見がでるほどの盛況であったという。インドのさらなる経済成長、国際政治での発言力の向上などに伴い、今後日本との関係は一層強化されるものと期待される。本書がインド理解の一助になれば、編者として幸甚である。
二〇〇七年九月
編者一同