目次
本書との出会い(田邊レイ子)
序文
はじめに
第1章 初めに考えておくべきこと
ジグソーパズルのピースを集める
探すのにふさわしい時期とは?
どんなことが予測できるだろう?
実親家族探しは恩知らずなこと?
秘密にしておいたほうがよい?
記録はまだ残っているだろうか?
カウンセリングは本当に必要なの?
記録には何が書いてあるの?
仲介者を通したほうがよいだろうか?
もし相手が知りたがらなかったら?
喪失感
私は恋に落ちる?
きょうだいが、もしいたら?
第2章 養子からの報告
エィミー
レベッカ
デイヴィッド
キース
エリザベス
カレン
マーク
ヴァネッサ
アリスン
ジョルジーナ
第3章 実親からの報告
アンナ
ジェイン
ソーニャ
クリスティンとジャック
アン
シンシア
ベーヴ
マイケル
グウェン
第4章 養親からの報告
バーバラ
サンドラ
ミシェル
第5章 養子縁組の環——それぞれの立場から
ジュリー(養子)、リン(養母)、スーザン(実母)の報告
イヴェット(養子)、モニカ(養母)、シャーリー(実母)の報告
ルイーズ(養母)、トゥルーディ(異父妹)、ポール(養子)の報告
第6章 再会前後の日記
未知の世界へ
特別な愛
むすび
解説——実親と暮らすことのできない子どもたちのためのシステム(大谷まこと)
索引
前書きなど
本書との出会い
一〇年ほど前の一九九五年の初夏、家族の短期海外出張に初めて同行した。イギリスと聞いて気持ちが動いたのと、子どもも老親も一応心配のない状態になっていたからでもある。行ってみたい所はいくつもあったが、そのうちの一つが書店だった。長年、養子縁組や里親制度の問題について考える研究会(「養子と里親を考える会」)の事務局に所属していて、当時その分野の研究や書籍が日本にはあまりにも少ないことに飽き足りない思いを抱いていたからである。欧米の書店には、その種の本のコーナーまであると聞いていた。数があればよいということでもないが、その国における分野の進歩の度合いは、関連書籍の出版量にある程度比例するのではないだろうか。イギリスの児童福祉は日本の先を行っていると感じていたから、期待はあった。
訪れたのはロンドンでも大型と言われていた書店だったが、今の日本で言うほどには大型ではなかったし、児童福祉関係の本のコーナーはあったものの、養子や里親関係の本は、その棚の二段ほどにあるかなしかくらいだった。数冊を抱えて帰ったが、そのうちの一冊が、本書(PREPARING FOR REUNION — Experiences from the Adoption Circle, NEW EDITION, 1998)の初版本(PREPARING FOR REUNION — Adopted people, adoptive parents and birth parents tell their stories, 1994)であった。
本書は、イギリスで乳幼児のときに養子縁組された子どもが長じて実親探しをしたときの体験報告を基に、それをサポートしてきたソーシャルワーカーたちがまとめたものであるが、読み出すと引き込まれるような感じを受けた。日本の制度や考え方との違いに驚きながらも、当事者たち(養子、養親、実親)の語る三者三様の思い——養子の「知りたい」という強い欲求や心の葛藤、養親や実親の抱く不安や恐れなどなど——そのどれにも強い共感を覚えたからである。
その率直で真摯な表現にも驚かされた。当時の日本では、養親であれ実親であれ養子本人であれ、養子縁組の当事者がその体験なり心の奥底の思いをこれほど率直に表現している言葉に接する機会は、ほとんどないようなものだった。
すでに国連では「子どもの権利条約」が一九八九年に採択され、子どもには「できるかぎりその親を知る権利」があることも明記されていたが、日本では古くから養子という制度があるにもかかわらず、婿養子に代表される成人養子縁組は別として、こと乳幼児期にされた縁組に関しては、当事者にもまわりにも、その問題に触れることを半ばタブー視する風潮があったと思う。しかし、この本の中では、養子も実親も葛藤を抱えながらも真剣に情報を求め、養親のほうは苦しみながらもそれを見守り、手助けさえしている。その姿に圧倒されるような思いがした。
日本では戸籍制度が完備しているので、戸籍をたどれば実親の(縁組当時の)住所氏名がわかることが多いが、それ以上の、縁組に至ったいきさつをはじめとするさまざまな情報を養子が得たいと思っても、ごく一部のあっせん機関を通した縁組の場合を除けば、記録がなかったり、あっても児童相談所でさえ記録の保管は二〇年程度と聞いている。
また、情報を得るだけならともかく、実際に肉親を探したり再会を果たそうとすると、必然的にまわりの人たちをも巻き込むことになるが、本書に描かれているような、肉親探しを始めようとする人たちにあらかじめ心の準備をさせたり、混乱の渦中にある当事者たちを中立の立場からサポートしてくれるカウンセラーを身近に持てる幸運な人々は、一体どれほどいるだろうか。そう考えると、本書を日本の関係者の人たちにも読んでほしいという気持ちが強くなっていった。
近年日本でも、離婚、再婚、養育困難、児童虐待などによって、養子ではなくても実親と離れ育つ子どもは多くなってきている。また生殖医療の急激な進歩によって、さまざまな形で生物学的つながりのない親子も増えている。また一方では、医療をはじめとする社会のさまざまな場面で、自分自身に関する情報を求める声は大きくなり、知る権利への意識も理解も広まってきている。
どのような立場の子どもであれ、過去の空白部分を埋めて自分の誕生前からの物語をひと続きのものとして理解し、現在の自分につながるものとして受け入れたい、と願うことは自然なことと思われる。それは自分自身を受け入れることにつながる。本書の中で、養子の娘ジュリーが肉親と再会を果たした後に、養母が次のように書いている。「私はジュリーの新しい家族に親しみを感じていますし、これからも交際を続けたいと思っています。結局のところ、私たちはみんな、ジュリーの人生の一部分なのですから」と。誰もがすでにほかの誰かにとっての人生の一部分になっていることを思えば、肉親探しもそれまでの人間関係を切り捨てることではなく、当座は望んだような結果にならなかったとしても、深いところでは幾重にも絡み合った人同士のつながりの輪をさらに広げ、絆を育む力の一つにもなると考えてよいのではないだろうか。
本書が日本でも、当事者の方々が心の準備をしたり判断をするうえで参考になり、その周辺のまた一般の方々の間にも理解が深まっていくことに少しでも役立つことがあれば、このうえない幸いである。
田邊 レイ子