目次
はじめに
第1章 国際刑事裁判所の設立
1 はじめに
2 戦争の20世紀と国際人道法の確立
3 国際刑事裁判の歴史
4 国際刑事裁判所設立への道
5 ローマ規程の目的と特徴
6 裁判所において適用される法と法解釈の原則
7 財政と規程に関わる事項
第2章 対象犯罪と管轄権の行使
1 対象犯罪
2 管轄権と受理許容性
第3章 ICCの構成と運営
1 裁判に関わる機関
2 裁判所以外の機関
第4章 刑事法の一般原則
1 総説
2 刑法の諸原則
3 個人の刑事責任の成立に関する諸原則
4 個人の刑事責任を阻却する諸原則
第5章 国際刑事裁判所における手続
1 総説
2 捜査と公判前手続
3 公判手続
4 判決・上訴・再審
5 手続全体に関する諸問題
6 裁判の運営に関する犯罪と制裁
第6章 被疑者・被告人の権利
1 総説
2 被疑者の手続上の権利
3 被告人の手続上の権利
4 弁護人
5 被拘禁者の取扱い
第7章 被害者の保護と権利
1 総説
2 被害者と証人の保護
3 被害者の手続参加
4 被害者に対する賠償と信託基金
5 被害者のための信託基金
6 被害者・証人室
第8章 国際協力及び司法上の援助
1 協力を行う一般的義務と方法
2 犯罪人の逮捕・引渡しに関する協力
3 捜査・訴追における協力・援助
4 刑の執行と国際協力
第9章 裁判所に係属する事態と事件
1 総説
2 コンゴ民主共和国の事態と事件
3 北部ウガンダの事態と事件
4 ダルフール地方(スーダン)の事態と事件
5 中央アフリカ共和国の事態
第10章 日本の加入と国際刑事裁判所協力法
1 ローマ規程と国内立法措置
2 日本のローマ規程加入にいたる経緯
3 国際刑事裁判所協力法
引用・参考文献/国際刑事裁判所の基本文書
国際刑事裁判所に関するローマ規程
索引
前書きなど
はじめに
戦争の世紀と呼ばれた20世紀に対し、国際正義の永続的な尊重及び実現を保障することを決意して設立された国際刑事裁判所(ICC)は、条約に基づく常設の独立した国際裁判所として2003年から活動を開始した。そして日本も2007年、ようやく第105番目の加盟国となった。集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪そして侵略犯罪という国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪に対し、責任ある者に対する不処罰の歴史に終止符を打ち、被害者の権利を国際的に確立しようとする試みは、これまで重大な人権侵害や非人道的行為に対して、実効的な抑止と救済の手段を持たなかった国際社会においては、大きな進歩であることは疑いがない。しかし、21世紀に入ってもなおそれと逆行するような国際法を無視した武力行使や人権侵害が繰り返される国際政治の現実を前に、そのような進歩は、また、決して平坦な道ではないのも事実である。
ICC及びローマ規程は、1998年のローマ会議における規程の採択当時から日本においてもしばしば紹介されてきた。過去の戦争における日本の侵略や残虐行為を検証する基準として、あるいは現在及び将来において日本が平和構築や世界中の人権侵害に取り組むための一つの手段として、議論の素材を提供してきた。しかし、2007年の日本の加入決定にいたるまでローマ規程の正式な翻訳は存在せず、またICCにおいて重要な地位を占める規程に準じた各種の文書も十分には紹介されてこなかった。またそれらを包摂して、ICC及びローマ規程を全体的に解説する日本語文献も存在していない。本書は、日本のローマ規程加入を機に、ICCの法と実務に関する基本的な情報を可能な限りすべて取り込んで、その全体像を明らかにしようとするものである。そのために、文末に掲載したローマ規程と並んで、締約国会議が採択した犯罪の構成要件に関する文書、手続及び証拠に関する規則をすべて取り込む形で、解説を行っている。また、実務上重要な役割を持つ裁判諸規則その他の基本文書も、重要と思われる部分を引用した。
成文法である条約としてローマ規程を見るとき、それは一面では希代の悪法あるいは悪文であるということができるかも知れない。その条文は、しばしば長文でわかりにくく、必ずしも手続の順序を追って整合的に規定されてはおらず、関連する事項が離れた場所に規定されているためにそれらをすべて参照することなしには意味が確定できない部分もある。その中には、相互に矛盾するのではないかと思われる部分もある。それらは、ローマ規程を読み解こうとする者をしばしば絶望的な気持ちにおとしめる。しかしそのことは、ローマ規程が世界中の国家代表や国際機関や、無数のNGOによってわずか1ヶ月余のローマ会議で採択された経緯を振り返るとき、まったく異なる意味合いを持ってくる。安全保障に対する国際政治のさまざまな思惑とあわせて、新しい国際裁判所の犯罪概念や刑事手続を先例のないもとで創り出すことは、参加者が依拠する世界中の異なる法制度や法文化のぶつかり合いのもとで難航をきわめた。その機を逃してはもはや国際刑事裁判所を設置することはできないと決意する推進勢力は、ローマ規程の採択のために数々の提案と妥協をくり返さなければならなかった。そのことを考えれば、ローマ規程の難解さは、むしろ国際裁判所として世界の法文化を反映させ、多くの国々と市民社会の支持を受ける機関となるための、産みの苦しみを反映したものなのである。そして、ローマ規程自体が持つ難解さは、その後に数々の付属文書が採択され、また実際の事件に適用されて動き出す中で、次第に確固とした法と実務の形を持ちつつある。
筆者は、ローマ会議に日本弁護士連合会の代表としてNGOの立場で参加し、その後も、日弁連が加わって結成された国際刑事弁護士会(ICB)の理事として、ICCの設立過程を見守ってきた。法律実務家として、この問題にかかわってきた主要な理由は、「慰安婦」問題をはじめとする日本の戦争責任を追及する裁判や、海外での大規模な人権侵害の被害者の救済にかかわる中で、国家を超えた国際裁判所が必要だと実感したことにある。同時に日常的に刑事弁護にも関わる立場からは、そのような国際裁判所は、国際世論の処罰感情に流されることなく、被疑者・被告人の人権をはじめとする公正な裁判が実施されなければ、国際社会において正統性を持つことができないという確信がある。
最後に、ICCにおいて裁かれる犯罪は、国家権力や大規模な民兵組織がその背景に存在することが多いであろうが、ICCが裁くのはあくまで犯罪に関与した個人であり、国家や団体の責任を取り扱うものではない。国際機関でありながら、ICCに登場するのは、裁かれる個人、救済を求める個人である。そしてそれらの者を弁護または代理する者として法律実務家もまた個人の資格で裁判に関与し、人権に関わるNGOも事件の通報や情報・資料の提供において重要な役割を持つ。ICCにおいて個人は、国家を介在させることなく、国際法のもとでの権利と義務に向き合うのである。その意味で、ICCが今後、実効的な国際裁判所として機能するかどうかは、諸国家の協力だけではなく、それとは独立した市民社会の関与にかかっているものと言えるだろう。本書が、ICCの活動と手続をより深く理解しようとする市民の理解の一助となれば幸いである。
2007年8月