目次
はしがき
序 章 「貧困・不平等・社会的公正に関する日米シンポジウム」開催の目的
(青木 紀・青木デボラ)
第1部 不平等社会における貧困の諸相
第1章 「どん欲さは善」か——金持ち、貧困者、個人責任(キース・キルティ)
第2章 子ども:子どもの貧困と社会的公正(松本伊智朗)
第3章 労働:新しい相対的貧困(布川日佐史)
第4章 障害:交錯する「貧困」と「障害」
——障害者福祉は貧困問題にどう対処してきたか(藤原里佐)
第5章 高齢:高齢者の貧困と孤立(河合克義)
第2部 何が福祉国家を後退させてきたか
第6章 政策:合衆国における福祉削減の原因と結果(エレン・リース)
第7章 研究動向:国民生活の不安定化と低所得問題研究の課題(杉村 宏)
第8章 政策動向:何が福祉国家を後退させてきたか(岡部 卓)
第3部 「豊かな社会」の貧困観と転換の基盤
第9章 意識:ステレオタイプと統計——世論と貧困測定(ローラ・ペック)
第10章 社会意識:現代日本の貧困観——相対的貧困像の対置(青木 紀)
第11章 当事者意識:貧困当事者とは誰か?——母子世帯への調査から(岩田美香)
第12章 メディア:貧困をめぐるマスメディアの状況(斎藤貴男)
第4部 社会的公正実現のための理論と実践戦略
第13章 社会的共感——貧困と向き合うための新たなパラダイム(エリザベス・シーガル)
第14章 憲法25条を守り生かす運動の発展を(辻 清二)
第15章 「貧困を貧困として語ること」からの再出発
——現代日本の反貧困政策の戦略(岩田正美)
第5部 まとめと課題
第16章 貧困からの第一歩——私たちがリスク社会を生み出す(青木デボラ)
第17章 コメントを踏まえて(青木 紀)
あとがき
前書きなど
あとがき
今回のシンポジウムは、本書の副題にもある通り、日米の貧困研究に関わるものが自国の貧困の現実を多面的に検討することにあった。その際、視点として重視したことは次の点である。
第1には、単なる格差拡大を問題とするのではなく、その底辺で再生産され蓄積された貧困の問題を扱うことであった。
今日では、(日米両国とも「自由と民主主義」を標榜してはいるが)持てるものと持たざるものの間には深い溝が存在し、社会的不平等が許容できないほど深刻な問題となっている。そしてマスメディアはこぞってこの格差問題を取り上げ警鐘を鳴らしているが、私たちは、問題はその先にあると考えた。格差社会論は、所得や消費構造はもとより地域社会のあり方や子育てに至るまで、問題を切り取る便利な道具のように扱われ、挙句の果てにはどのようにしたら格差の上位にのぼることができるのか、どこに住んだら自身にとって有利になるのかというように、格差構造の本質とは全く逆の議論になる場合さえあった。
格差の底辺で社会的に産み出される貧困と不平等こそが、社会的解決を必要としている問題であり、その現実と緩和・改善の方向こそ問われなければならない問題であった。
第2には、貧困を絶対的なものとして見るのではなく、相対的なものとして、国民諸階層に密接に関連するものとして見ることであった。
貧困を、自国の過去の問題と考えたり、戦禍や飢餓に苦しむ遠い異国の問題とみなす考え方の根底には、「食えない」という言葉に象徴される、生理的生存水準を割り込むような状態が想定されている。しかしながら私たちが問題としている貧困は、社会保障が制度化され、国民の基本的人権が保障されている社会における、人々の生活に潜む貧困のことである。現代の社会生活を前提にして貧困を考えるという意味で、相対的貧困を問題としているが、それは同時に現代社会がどのような政策によって産み出されたのか、それをどう変えていくのか、国民諸階層の生活とどのように関連しているのかを問うことでもあった。
日本と米国の関係は、国家の成り立ちや国民性が大いに異なるにもかかわらず、政治的・軍事的な従属的同盟関係のもとで、国民生活問題の性格は驚くほど同質的なものになっている。このシンポジウムを通じて、両国の貧困の現状と課題を検討することは相互に意味のあることであり、その打開の方向も共通していることが確認された。
また第二次世界大戦の反省と教訓に基づいて、全世界の国民が戦争の恐怖と欠乏から免れるための唯一の道として目指された福祉国家の理念を、周到な準備と宣伝を通じて挫折させようとした米国の新保守主義の潮流が、日本においても踏襲されていることが討論を通じて明らかにされた。
このシンポジウムの成否は参加者や読者の判断を待つよりほかないが、最近の報道では単に格差問題だけではなく、貧困・不平等の問題を掘り下げようとする論調も目立つようになり、国民の生活のありようやそこに潜む問題と、政治がどのように取り組むのかが問われ始めているように見える。
二日間のシンポジウムは、貧困問題に関心を寄せる200名以上の人々の参加を得て濃密なものとなったが、限られた時間で多数の報告が行われたために、参加者による議論が十分に深められたとはいいがたい状況であった。
このシンポジウムで提起された論点をめぐってあらためてさまざまな形で議論を深めていただければ、会を企画したものとして望外の喜びである。またそのような議論を通じて、忌憚のないご批判やご助言をお寄せいただくことを切に希望してやまない。
2007年の初頭にあたって
杉村 宏