目次
日本語版への序文
謝辞
訳者まえがき
序章
第1章 問題のある子どもの成り立ち
第2章 ウィリアム・ヒーリーと革新主義の児童救済家たち
第3章 児童相談チームの誕生
第4章 児童相談の普及
第5章 ふつうの子どもの問題行動
第6章 子どもたちと児童相談
第7章 母親批判
第8章 精神医学の権威の限界
訳者あとがき
原註
索引
前書きなど
訳者まえがき
一九世紀から二〇世紀にかけて、近代社会は小児医学、義務教育、児童福祉など「子ども」を対象としたサービスを作り出してきたが、この中で取り扱われた問題は、必ずしもサービスの提供を受ける子どもの側からの問題ではなく、社会や大人たちから見た厄介なこと(trouble)が中心であった。
移民の流入による都市の過密と貧困は、社会の中での厄介な問題として非行問題を生み、本書の主題である「児童相談」もそこから生まれた。その後、一九二〇年代からの児童相談運動によって全米に展開していった児童相談クリニックは、その当時の社会や親たちが子どもに対して抱いた問題を解消することを目指して発展してきた。本書の原題Taming the troublesome child(問題のある子どもをおとなしくする)は、まさに大人たちの視点から生まれ発展してきた児童相談の本質を見事に表している。
児童相談は、少年非行への対応として誕生したものであったが、その普及の過程で、対象を主に貧困家庭の子どもの非行から一般家庭の「ふつうの子どものふつうの問題」に拡大し、そのことが結果的に子どもの「こころ」を対象とした臨床サービスとその専門家を生み出し、今日の児童青年精神医学の基盤を築く結果となった。医学は子どもの問題を子ども自身の中で起こっている異常として捉え、それを疾病あるいは障害として診断し治療を行うものである。しかし、実際には子どもたちが自ら児童精神科医の前に現れることはなく、医学の一分野となってもなお、診断や治療を受けることは周囲の大人たちが子どもの行動にどれだけ困っているかによっていて、児童相談の時代と大きくは変わっていないのが実情である。二一世紀になり、我々の社会における子どもへのサービスは広く普及してきているが、本当に子どもの視点に立ったサービスには到達できていないのではないだろうか。その一例が、家庭内で虐待を受け、心と体に深い傷を負う子どもたちが急増している現状である。「もの言わぬ子どもたち」が本当に求めている手助けができるようになることが、「児童相談」の究極的な到達点ではないだろうか。その意味で、児童相談の歴史は、まだ過去の事実ではなく、今なお前進することが求められている課題なのである。
本書は、二〇世紀の前半のアメリカにおいて、都市の社会問題として子どもの福祉に取り組んだ児童救済家たちが少年裁判所を作り、次に非行少年を心理学的に理解するために精神科医ウィリアム・ヒーリーを招いてクリニックを作り、さらには子どもの精神保健に関する専門分野が形成されていった過程を、その源流となったボストンのジャッジ・べーカー相談センターのケース記録を詳細に調査することで描き出した研究である。これは、当時の社会情勢、風俗、政治、社会保障制度、学術的な状況などが複雑に入り組んだ物語で、アメリカの社会福祉の歴史であり、女性や家族の歴史であり、児童精神医学の歴史でもある。社会的混沌の中から、子どもへの支援を築き上げていった人々の足跡を辿ることは、今日の我々の社会の中での子どもへの支援のあり方を考える上で大いに参考になる。子どもに関わる専門職だけでなくすべての大人たちが、児童相談の歴史を振り返ることによって、子どもに対する大人の役割を考える一助になれば幸いである。
なお、著者自身も原註の中で触れているが、本書では知的障害(医学的な診断名としては精神遅滞)に相当する用語として、feebleminded(知恵遅れ)、mental deficiency(精神薄弱)、idiot(白痴)、imbecile(痴愚)、moron(軽度精神薄弱者)など、今日では不適切である表現が一部に使用されている。これらの用語については一九世紀から二〇世紀初頭の子どもの問題についての歴史的記述のために使用されており、日本語版でも原典に沿って翻訳することとした。この点について読者の皆様のご理解をお願いする次第である。
小野 善郎