目次
序章 研究課題の設定
第1節 研究の対象と理論的枠組み
研究の対象/理論的枠組み
第2節 研究方法
フィールドワーク研究法/本研究でのフィールドワーク調査
第3節 調査地の概況
第4節 本研究の意義と構成
先行研究の整理と本研究の意義
第1章 タイの国民教育史——読み書き習得から国民の形成へ
第1節 国民教育の準備期
寺院教育/チュラロンコン王の教育整備/義務教育令の発布
第2節 国民教育の開始期
サリットの農村教育開発/ラックタイ教育の普及
第3節 国民教育の完成期
一九七八年改革の発端/ラックタイ重視の改革
第4節 国民教育の量的推移
第5節 調査地の社会環境変化と教育の歴史
読み書き習得の時代(二〇〇年前から一九五〇年代まで)/小学校拡充の時期(一九六〇年代から一九七〇年代)/学校制度の充実期(一九八〇年代以降)
第2章 言語の国民化
第1節 中央タイ語の地方への普及
タイ語の言語学的位置づけ/タイ語普及の政策史/情報通信メディアの役割
第2節 調査地における言語の歴史
一八〇〇年代から一九三〇年以前—ラオス語とタム文字の時代/一九三〇年代から一九五〇年代——小学校の設置/一九六〇年代から一九七〇年代
第3節 現在の子どもの言語生活
家庭生活/テレビ・ラジオ/外部との往来/印刷メディア
第4節 村落内での子どもの国語習得メカニズム
第5節 学校における言語の国民化
学校言語の配置/学校における中央タイ語習得の実践/二言語使用と言語意識
第6節 言語の国民化メカニズム
第3章 仏教の国民化
第1節 一九六〇年代以降の教育政策の中の仏教
第2節 コミュニティの仏教信仰と子ども
僧修行と見習い少年僧制度/日常の食事喜捨(サイバーツ)/年中行事
第3節 学校における仏教の国民化実践
日常的活動の中の仏教/教室の中の仏教/年間行事の中の仏教
第4節 学校仏教の公的組織化
公的行事としての学校行事/村落の祭りとしての学校行事
第5節 仏教の国民化メカニズム
第4章 国王崇拝の国民化
第1節 国王の視覚化政策と村落の国王イメージ
第2節 学校における国王崇拝意識の形成
教科書の中の国家と国王/母の日行事のエスノグラフィー
第3節 国家の家族と村落の家族
家族の子育て意識—レオテーとバンカップ・マイダイ/子育ての意識の二重構造仮説/家族イメージ操作の背景/タイ農村の社会変動と国民道徳形成
第4節 国王崇拝の国民化メカニズム
第5章 子どもの国民意識の諸相
第1節 子どもの仏教意識
タンブン観念/天国(サワン)と地獄(ナロック)の存在への観念/輪廻転生の観念
第2節 子どもの国王崇拝意識
国王イメージ/王妃イメージ/マスコミからのイメージ受容
第3節 子どものアイデンティティ
調査の方法/アイデンティティの全体的特性/集団アイデンティティの特性/強固な国民意識
終章 まとめと今後の課題
第1節 マクロ・レベルの主体
文教政策——主導的国民形成主体/政治変動と経済変動/イメージ形成主体としての〈情報通信メディア〉/伝統文化システムの補完的役割
第2節 コミュニテイ・レベルの主体
学校の役割転換——読み書き空間から国民形成空間へ/寺院と家族の役割/テレビなどの役割
第3節 学校の内部メカニズム
国民形成の空間配置/国民形成の領域/国民形成の技法/卒業——国民文化の習熟
第4節 今後の研究課題
前書きなど
はじめに 近年、社会科学の分野で国民国家の形成を再検討する研究が数多く提出されている。これらの研究は、「国民」や「民族」と呼ばれる集団が歴史を越えて永続し、われわれのアイデンティティの源泉であるという旧来の考え方を批判している。逆に、国民や民族の起源はきわめて新しくかつ政治的に創られたものであると指摘している。 いうまでもなくこれらの研究は、東西冷戦体制の崩壊以降に生じた世界的な少数民族の勃興や民族間の緊張激化による国民国家の基盤の揺らぎを背景として提起されたものである。ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の著書『想像の共同体』はこうした研究動向の端緒となった著作である。「歴史家の客観的な目には国民(ネーション)が近代的な現象に見えるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在とみえる」ということばは、国民の概念の近代性と虚構性を端的に示している。 本研究の出発点はこの国民概念の近代性と虚構性にある。人は生まれながらに国民であるわけではない。人は国民として形成される。アンダーソンは、国民とは「想像された共同体」であると言う。家族や村落の共同体意識は、その構成員が他の構成員を互いに直接知っているという事実を基礎にして成立する。しかし、国民がつくる共同体は大多数の構成員がお互い直接会うこともない。にもかかわらず、われわれは共通の歴史や文化を有した同胞が住む「祖国」として想像する。国民という共同体は想像(イメージ)の共有によって成立する概念なのだ。 では、近代のフィクションである国民はいかなる過程から形成されていくのだろうか。そして、学校教育はどう国民形成にかかわるのであろうか。 本書では、タイ東北の小学校を対象にして国民形成のプロセスを詳細に解明したい。タイの僻地農村に生まれた子どもたちが国民としていかに形成されるのか、そして学校と学校以外のさまざまな主体(エージェント)がいかに国民の形成に関与しているのかを現場のエスノグラフィーを通して記述し、多面的に分析することが本書の課題である。 調査地はタイ・ヤソトン県の一村落である。ヤソトン県はタイ東北コラート高原に位置し、人口五五万八千人(二〇〇〇年)で、東西の県境が接するロイエット県(人口一二五万人)、ウボンラチャタニ県(人口一六九万人)に比べると小県である。県南部にはメコン川支流のチー川があり、チー川流域は古くから開拓が進み交通路となっていた。県全体に水田が広がるが、雨水に依存した粗放的稲作のため降水量により収穫量が大きく左右され、年次収穫高は年ごとに変動が大きい。県民総生産(GPP)順位は、全国七六県中最下位の部類に入る。 現地調査は一九九六年七月から二〇〇〇年三月まで七回行った。集中的に調査した村は一九八〇年代にようやく電気や舗装道路が村内に入り、急速に変化を遂げた村落である。村の子どもたちが村を出て中学、高校へ進学するようになったのは、ほんのこの一〇年の出来事である。今でも稲作のために「田作り小屋」で子どもたちが寝泊まりする伝統生活も維持されている。こうした僻地の子どもたちの国民形成過程を本書では見ていきたい。 なお、タイでは一九九七年新憲法が制定された。その後、日本の教育基本法に当たる国家教育法(一九九九年)に基づく大規模な教育改革が進行している。新しい基礎教育カリキュラム(二〇〇一年)やそれに基づく新教科書づくりも具体化しつつある。本書が扱うのは、おおよそ九〇年代後半までの時点である。従って、二〇〇一年カリキュラム以前の事象が分析範囲である。しかし、現在も「国民」を形成するという国家課題をタイの学校は確かに担っている。国民形成という研究課題は今後いっそう重要であると思う。 第1章では、タイの伝統的寺院教育から現在までの教育政策の歴史を、国民形成の段階的変化の視点から概観する。一九六〇年代以前の教育を国民形成の「準備期」、六〇年代サリット首相以降の教育を国民形成の「開始期」、一九七八年以降を国民形成の「完成期」と名付け、各時期の特徴を記述し、これらの時期区分に調査地の教育の歴史を位置づける。 第2章では、タイ中央語の国民的普及を分析する。中央言語の浸透に関与してきた多様な主体を、マクロ・レベル(言語政策や情報通信メディア)とコミュニティ・レベル(村内の言語メディア)に分け、歴史的な変化と現状を検討する。さらに、学校レベルと子どもに観察の目を向け、教室での中央タイ語の習得過程や子どもの言語意識について検討する。 第3章では、現在タイの「学校文化」となっている学校の仏教的性格を国民形成の視点から再検討する。教育政策の中の仏教、コミュニティ内部の仏教、学校仏教と、検討のスコープを順に移動させながら、仏教を通しての国民形成の動態を追究していく。 第4章では、タイ国王(王室)への崇拝意識の形成プロセスの考察を行う。4章で特に注目する国民形成の主体は、「情報通信メディア」と「家族」である。この二つの働きに着目して「国王の視覚化政策」や「理想的家族国家イメージ」の展開を追究する。 第5章は、調査地の子どもたちがいかに国民としての意識・アイデンティティを形成しているのか、筆者が行ったインタビューや心理テストから具体的に明らかにする。 終章は、以上の議論のまとめである。国民形成主体の相互関係と学校の国民形成機能の特性を提示する。(後略)