目次
1 「ベトナム」の成り立ち
第1章 「ベトナム」という名称——国号の変遷と「ベトナム(越南)」
第2章 ベトナム人の由来——建国神話と銅鼓、そしてベトナム考古学
第3章 北属南進の歴史——圧倒的な存在としての中国・フロンティアとしての中・南部
第4章 フランスによる植民地支配——その遺産と負債
第5章 ベトナム民族運動——勤王運動から独立まで
第6章 ベトナム戦争——二つのベトナム
第7章 ベトナムと周辺諸国との国境問題——中国、ラオス、カンボジアとの歴史的つながり
第8章 多民族国家——54の民族
第9章 越僑——在外ベトナム人との関係
第10章 ベトナム語と「クオックグー」——公用語としてのベトナム語
2 大地と水、ムラとマチ
第11章 山と平野、水と土——二大デルタの自然と農業
第12章 北部平野集落の成り立ち——過密な人口を支える輪中地帯の形成
第13章 「ムラとムラ人」——はたして「農民」なのか「商売人」なのか?
第14章 メコンデルタ開拓村——フロンティアの終焉
第15章 盆地の生活——ターイ族の暮らし、民族雑居
第16章 ベトナム人と海——海が苦手な北部の人、得意な中部の人
第17章 ハノイ——開発期を迎えた首都・「みやこびと」の気位を支えるもの
第18章 サイゴン・ホーチミン市——クメールの街から華僑・華人の街、そしてベトナムの街へ
第19章 フエ・ホイアン・ミーソン——中部の世界遺産
第20章 生態系破壊——森林・マングローブの伐採・開発の現状と再生への試み
3 「公平・民主・文明的な社会」を目指して
第21章 人口動態・人口分布——人口政策・国家開発・農業開拓
第22章 階層分化——貧富の拡大
第23章 地域間格差——都市・農村、多数民族・少数民族
第24章 移住・移動——豊かさを求めて動き始めた農民たち
第25章 都市化——お金持ちから不法滞在者まで
第26章 ベトナムの家族、親族、家譜——地域的多様性と時代による変化
第27章 ジェンダー——社会と家族における女性の地位と役割
第28章 ヘルスケアー——リプロダクティブヘルスの現状と課題
第29章 社会保障——市場経済下でこそ必要なはずの安全網
第30章 教育——教育の「ドイモイ」は始まったか
第31章 社会悪——売買春・エイズ・麻薬
4 グローバル化する文化と「民族文化」
第32章 マスコミと情報化——情報量の増大と情報の規制
第33章 「宗教」と「信仰」——公認されている宗教と非公認の宗教
第34章 ベトナムの民間宗教——聖母道
第35章 冠婚葬祭——復活する人々の行事
第36章 音楽・演劇——伝統芸能からVーPOPまで
第37章 文化遺産と美術品——遺産の保持と新たな創造
第38章 現代文学——戦争文学からポスト戦争文学へ
第39章 映像——プロパガンダから娯楽へ
第40章 ベトナム料理——北・中・南部の豊かな味
5 ドイモイ下における政治の諸相
第41章 戦時体制からドイモイへ——ポスト冷戦期の社会主義志向路線
第42章 ベトナム共産党——その支配の「正統性」
第43章 国家機関——ベトナム的社会主義的法治国家
第44章 ホーチミン思想——イデオロギーかシンボルか
第45章 軍隊と公安——その変容と本来の姿
第46章 大衆団体——現在の祖国戦線とその姿
第47章 国民統合と開発——中部高原の少数民族運動
第48章 中央と地方——地方の「自治」と民主化
第49章 安全保障——小国ベトナムとアメリカ・中国
第50章 日本・ベトナム関係——国交三〇年余の現在
6 「工業化・現代化」への道
第51章 社会主義市場経済——高成長の原動力、一党体制下で限界も
第52章 全方位外交——経済開発へバランス重視、国際化進展で責務も重く
第53章 貿易構造の多角化——モノカルチャーからの脱却
第54章 成長の主軸・外国企業——技術と資本の増強で国際競争に挑む
第55章 農業国としてのベトナム——国際相場に翻弄される農民たち
第56章 「工業化」——製造業の競争力向上が喫緊の課題
第57章 金融・証券市場——活かせるか、国民の退蔵資金
第58章 交通運輸・通信——渋滞深刻化、インフラ整備に課題
第59章 豊富で優秀な労働資源——低廉で若い労働力の活路
第60章 消費性向——旺盛な消費意欲、ブランド信仰強し
前書きなど
はじめに 「エリア・スタディーズ」のベトナム版の企画が動き出してまもなくの二〇〇三年三月二〇日、アメリカはイラク戦争に踏み切った。それから一年余り経った現在、泥沼化するアメリカのイラク占領統治に対し、世界はベトナム戦争の再来だと指摘し、ベトナム戦争の教訓を思い起こし始めた。力による制圧は決して地域の人々を幸せにはしないことが改めて噛みしめられるようになっている。近年「普通の国」化しつつあったベトナムは、思わぬところからまた特別な存在「記憶の国」として脚光をあびようとしているかのようである。ただ、「記憶の国」の栄光は、戦争体験の悲惨さと背中合わせであるが。 ひるがえって今から二九年前の一九七五年、ベトナムはアメリカとの戦争に勝利し、民族解放闘争の「英雄」として世界史上に躍り出た。貧しい小国ベトナムが大国アメリカを打ち破ったことは驚きをもって受け止められ、それによってベトナム近現代史の歩みを反植民地主義的ナショナリズムや「革命のポリティックス」のプリズムを通して見る傾向が強められた。そこで捉えられたベトナム人像は、あまりに政治的・軍事的な人間像に偏っており、ベトナム人を「英雄」的に祭り上げた見方であった。 南北統一後、ベトナムは長く暗かった苦難の時期を経なければならなかった。戦場から戻った「英雄」たちは経済的苦境に直面しなければならなかったのである。ベトナムは戦時体制の国家社会主義から脱却すべく、一九八六年にようやく自らの道「ドイモイ(刷新)」を歩み始めた。改革開放政策であるドイモイは、それまでの「みんな一緒」という平均主義的な思考から決別し、国民がそれぞれのニーズに合った多様な生活様式を追求することを認めた。外資導入によってホーチミン市やハノイなどの都市部を中心として高度経済成長が達成され、市場経済の浸透とともに貧富の格差が拡大し、農村から大量の都市移住が発生した。特に、社会主義経済システムに長らく慣れてきた北部ベトナムの人々にとって、市場経済の経験は未曾有のものであり、この一〇年間ほどの生活の激変にみられるドイモイのインパクトは計り知れないものがある。 このようなドイモイの進展は、ベトナムに対する見方への変化をも惹起し、相対的に経済・社会の領域への関心を高めることになった。共産党の一党支配体制は堅持され社会主義の看板は下ろされていないものの、かつての「近代化理論」や開発経済論でおなじみの「近代化、工業化」が前面に押し出されるようになった。その意味でベトナムはあたりまえの途上国となり、「普通の国」になった。ベトナム戦争期のベトナムが外国人ジャーナリストにとっての「花形の地」であったとすれば、九〇年代から二一世紀初頭のベトナムは先進国の開発援助専門家にとっての「花形の地」となったのである。 本書では、「普通の国」であるベトナムを多面的に捉え、「等身大のベトナム」の人々を描くことに腐心した。ドイモイは、ベトナム人だけでなく、外国人の研究者やジャーナリストにとっても、大きな変化をもたらした。それまで主に共産党機関誌や政策をまとめた研究書などによってしか情報を得られず、フィールドワークもままならない、いわば情報飢餓的状態におかれていたが、一九九〇年代に入るとベトナムに長期滞在して現地調査することが容易になり、今までとは比較にならないくらい素顔のベトナム人に触れることが可能となった。本書の特色は、このような留学やプロジェクト実施などで現地での生活や実務を豊富に経験してきた研究者・ジャーナリスト・政府系職員・NGO関係者などによって多彩な執筆陣を構成していることである。本書を通して、一枚岩ではない多様なベトナムの人々の価値観や生活を汲み取っていただければと思う。たとえば、拝金主義的世相を嘆きながらもどん欲に突き進む人々の笑顔、警察官に店の道具を没収された街角のフォー屋女主人の泣き顔、少子化でわがままに育った孫のしつけに疲れ気味のおばあさんの困った顔、高級幹部の汚職問題について口角泡を飛ばしながらまくし立てるタクシー運転手の怒った顔、などなど。そこには、「英雄的なベトナム人」という一面的な理解を超えた、時には打算的で自己中心的な、生臭い、それでも何故だか憎めないベトナム人がいる。 イラク戦争で人質になった高遠菜穂子さんは解放直後「嫌なこともされたけど、イラク人のことを嫌いになれない」と語ったが、ベトナム現地生活経験者のわれわれも「嫌な目にもさんざん遭ったけれど、ベトナムの人々を嫌いにはなれない」というのが本音である。この気持ちは、おそらく本書の執筆者のほとんどがもっている実感ではないだろうか。このような実感を幾分かでも読者と分かちあえることができれば幸いである。確かに、ベトナムはかつてのように次々とセンセーショナルなニュースでマスコミをにぎわすような存在ではなくなったかも知れないが、人的交流・経済関係など日本との関係はますます緊密になってきている。それだけに「等身大のベトナム」や「普通の国」ベトナムを捉える、腰のすわった深みのあるベトナム像が求められるようになってきているといえる。 本書は六部構成になっている。1はベトナムという国の枠組みが歴史的・空間的・人間集団的・文化的にどのように形成されてきているのかを検討している。2では現代ベトナム人が暮らす地理的・生態的環境について述べられ、3ではドイモイによって生じた社会・生活の変容について扱われている。4では戦時期の文化のありようから脱してグローバル化と「社会化(民営化)」が進む文化の状況とそれに対抗・補完するかたちで「民族文化」が提唱され重要視されるようになっている文化状況が描かれている。5では「法治国家化」や「民主化」など、ドイモイ下における社会主義体制の政治的変化を追っており、6では国際統合圧力がかかる状況下の「社会主義市場経済」の現状とその課題について説明されている。(後略)