目次
ドゥルーズ 意味と出来事と永遠と
「出来事」の倫理としての「運命愛」
ただ流れる時間へ
『差異と反復』における微分法の位置と役割
「強度」概念再考
ドゥルーズ+ガタリへ 構造主義の臨界
器官なき身体とは何か
機械は作動するか
表層・深層・抽象機械における言語
いつも「新しい」精神医療のために
『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』 資本主義のリビドー経済
器官なき身体から抵抗へ
公理と指令
メキシコの一九六八年、あるいは「マイノリティへの生成変化」が残した問い
ドゥルージアン/ガタリアン・アニマル
ドゥルーズ/ガタリ縦走 ドゥルーズ哲学における<転回>について
来るべき民衆
イマージュ/シネマ メディア・デザインへ向けての哲学とは何か?
ミュージカル映画における「世界の運動」
シネキャピタル、シネコミューン
哲学的系譜・遭遇 ドゥルーズ哲学のもう一つの系譜について
思考と哲学
ドゥルーズと現象学出会いのための序章
ドゥルーズとデリダ
ドゥルーズ/ガタリ横断 シーニュとインタフェイス
剥き出しの生と欲望する機械
家族写真、アメリカ、資本主義
ドゥルーズ/サイード
言語の流体力学
資料 ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在